医者が言っていた。「被害妄想」だと。
その通りだと思ったが、なんだか複雑な気持ちになった。
しっかりと真実というものを伝えなかった私も悪いだろう。
だが存在する他人に、弱味を話すことがあんな苦痛だとは思わなかった。「死にたい」と口に出すことが出来ないとは思わなかった。
今思い出しても嫌な医者だった。
私も嫌な患者だっただろうが。
まあ、もう会うことはないだろう。
そう言えば、何の診断も受けていないのだが、本当に通院歴だけで大丈夫だろうか。
それにきっとしばらくそんなことをするつもりはないから、下手したら何十年も前になるが、だめかな。
母も言っていたな。「金の無駄」だと。
それな!って思ったよ。
さすがに口には出さないけれど。
すぐに終われて良かった。
先生が言っていた。卒業式の日に。
みんなに向けてだが、私に対しては確かに向けられていただろう。
「死ぬな。」と。本当に、怖かった。
その言葉が出た途端に背筋がゾッとした。
その話が早く終わることを願った。
怖くて怖くて涙が出そうだった。
最後の最後で恐怖の対象としてしか見れなくなってしまった。
最後の握手も、目を見ることさえ出来なかった。
もう、会うことがありませんように。
まるで、
命の大切さを分かっていないから、
世界の素晴らしさを知らないから、
なんて言われてもただただ困るんだ。
知らないわけじゃないよ。
命の大切さも世界の素晴らしさも、
ちゃんと理解したつもりでいる。
つもりなだけだろう?
そうであっても、それらを理解するためだけに生きられることはないだろう。
きっと私はそうだよ。
別に私はそれらの考えを否定するつもりなどないし、尊重したいとさえ思うのにどうして。
できるだけ静かに、誰にも気づかれることがないように頑張るし、そのためにしっかり生きるから、どうか、気にかけないでほしい。
この死にたい、という気持ちだけは、これから何年経っても、どんな状況であっても、変わらない気がするから笑える。
ああそうだ、頑張って生きよう。夢を叶えるために。
ななしさん
あなたがどんな心境でいるかは、あなたの自由です。
ただ、「気にかけないで欲しい」というあなたが、ここに小瓶を流した理由には少々興味がわきます。
本来、気にかけないで欲しいと伝えるべきは、あなたを気にかける立場である家族や友達、同僚などであり、あなたのことを知らない他人ではないはずです。
赤の他人は、わざわざ頼まなくとも、あなたを気にかけることはまずないのです。むしろこれを書いたことにより、宛メを見ている他人までが、あなたを気にかけるきっかけになっています。
自分だけが見るノートではなく、他人が見る場所、他人から返事がくるかもしれない場所に書いた理由を、自分の心に聞いてみるといいかもしれません。
今までは「死にたい」という言葉でしか表現出来なかった気持ちの塊のもっと奥、もっと別の気持ちが見えてくるかもしれません。