私は小・中・高校、ずっと小説を読むことが大好きでした。
週1以上、図書室に通い本を借りていて一ヶ月に10冊ぐらい読んでいた時期もあります。
学校の図書室で本をたくさん借りた人ランキングなどではベスト3に入る事も度々ありました。
たまに読書するのが嫌い!って人を見かけると人生損してる!こんなに面白いのに!と思うほど小説が好きでした。
なのにどうしてでしょう。
大学に入って全く小説を読まなくなってしまったのです。
一ヶ月に何冊も読んでいた小説が一年に数えるほどになってしまいました。
友人は昔読んでいた数が多かっただけでしょ。と言っていましたが私としてはこんなに読書量が減ってしまったのがショックです。
時間がなくなってしまった…というわけではありません。
むしろ時間には余裕が出来た気がします。
新しい趣味を見つけた…というわけでもありません。
むしろ昔、読書以外にしていた趣味も大学生になってからはやる事が減りました。
なんで私はこんなに読む量が減ってしまったのでしょうか?
読みたい気持ちはあるのです。
好きな作家さんの新刊が売っていたら買って家に置いて放置してしまいます。
昔は買って帰ったらすぐに読んでいたのに…。
その作家さんに飽きたわけでもないようです。
前に読んだ本を読み直したときに面白かったので…でも新しく買った本を読む気にはなれないのです。
読みたいのに読む気になれない…。
面倒だな…という気持ちによく似ています。
読み出しても昔より集中力がないようにも思います。
昔読んだ本は内容がわかっているのでスラスラ内容が入っていきます。
しかし、新しいものを読もうとすると昔より理解力が少なくなっているように感じ前のページを何回か読み直さないといけない時がありました。
昔は読むペースも早かったのに今では時間がかかるしその割には昔より頭に内容が入ってこないし。
それでも一度読み出してしまえばどうにかなるのですがなぜか読み出すまでが中々出来ません。
昔は本当に読書が楽しかったです。
今でも楽しみたい…。どうしたらいいと思いますか?
名前のない小瓶
56542通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
読み辛くなったときに読むジャンルを変えて、そっちが飽きてから戻ってくるとスラスラと読めることが結構あります。
新ジャンルに手を出してみるのはいかがでしょうか。
りぃふ
読書は強制じゃないんだから、気が向いた時にすればいいんじゃないかなぁ、と思いました。
烏羽
ちゃんと三食ご飯食べてる?
わかってるとも思うから、お節介かもしれないけど、体や脳の栄養を欠くと支障をきたすよ。
それと、一遍に甘いもの摂りすぎると、慢性的な疲労感というか、気だるくなるからそこら辺も気を付けてね。
あと、なんというか、続けていると疲れてくるように、読みたくても、読む行為が脳にとって疲れてきたのかもしれない。
なんか知らんけど、何かしたくてもだるいって時に休んで、ある程度期間を置くと、情報の整理がされたのか、今までより読むペースが上がったりする事があった。
(小瓶主さんがどうかはわからんが、そう言うこともあると言う事で)
また別に考えられるとすると、他の方も書かれているけれど、小瓶主さんの変化かな。
知識だとか、ある種の先入観や慣れだとか。
例えば、主人公に感情移入したり、文章内のシーンや世界をイメージしたり、と、そういう楽しみ方をしてて、それが出来なくなったとすると、じゃあどこに自分が注目して読んでいるのか考えてみるのも良いかもね。
俺の場合だと、文章の書き方、想像しやすい表現の上手さだとか、設定の練りこみだとか、そういう所に目が移ってたかな。
要は、自分の変化から、読み方や着眼点が変化したとして、その読み方だからこその楽しみ方もあると思う。
今までの楽しみ方が難しくなったのなら、別の楽しみ方をすればいいじゃない、みたいな。
他の原因としては、熱が冷めたと言うか、なんだろ、しがらみというか、小中高と過ごした中での縛りのようなものが、読書欲を後押ししていた、とか?(自分で書いといてよくわからん)
今パッと思い付いたんだけど、読書感想文みたいなものとか、集中力が続かないなら続かないで、1日で一気に読もうとせず、しおり挟んで、そこまで読んだ感想を書いてみるのもいいんじゃないかと思った。
今と昔というか、人は常々変化しうるものだろうし、昔のペースは一先ず置いといて、今の自分のペースで読んだ方がいいと思う。
読むスキルが落ちたと言うのなら、また身に付けると言う意味でもね。
あと何か思い付くとしたら、読んでないとは思わないけど、小説ジャンル以外の他の本も、息抜きに目を通してみてはいかがかと。
個人的には絵本とか、あの時はわからなかったけど、子供向けなのによくよく読んで見ると深い内容だなあとか思う事が多かったりする。
内容が入ってくるのであれば、気が向けば、と付くけども、新しい本を読むよりも、昔読んだ色んな小説を改めて読んでみて良いんじゃない?
それこそ、以前よりもっと深い理解が得られたり、今と昔は見えたものが違ってたな、とか、同じだったな、とか、思うかもしれない。
個人的には、その変化も面白いものかと思う。
意外と読むための能力として、理解力一つにしろ、理解するための発想、考え方だとか、情緒に結び付いた経験からなる共感だとか、本を読む事以外に求められる能力が合わさって使われているんじゃないかと思う。
だから、自分自身の経験を増やすというか、読書以外の、他のなんかもやってた方が、感情移入しやすかったり、深い理解をしやすいって事はあるんじゃないかな。
あるいは、理解力や集中力、集中するための持久力、それらを伸ばすために何かしらの努力を考えてみてもいいかもしれない。
国語力…と言えばいいのか、漢字への理解や、文章としての表現の理解とか、そういうのも出来ると思うし。
新しい本は買ったのならそこにあるんだし、だというのならすぐ読まなくてもいいしさ。
めんどくさくないとか、本当に読みたくてどうしようもないとか、そういう時に読めばいいんじゃないかね。
ななしさん
めちゃくちゃわかる!!
小瓶の内容すべてに共感…
どんどん溜まっていく本、、
読みたいのになぁ…面倒だなあって思っちゃうのも事実。
でも読みたい、どうしたらいいのか…
ななしさん
体力が落ちたから、とかかなぁ
歳とると油が胃にもたれるし、十代の頃より身体が重い…
楽しむのにもエネルギーがいるからね
能動的なものは特に
体力づくりにジョギングでも始めよう
なんてね
あと毎日読書の時間をつくって少しずつ読むとか
小学校の朝読書みたいな(あったかな?)
○時から10分もしくは20分読書の時間
終わったらきりが悪くても栞を挟んでまた明日
日課になれば読み始めやすいかも
ななしさん
理由のひとつは、定番パターンを知り尽くした、ということ。
本は、ジャンルによってだいたい定番パターンがありますよね。ミステリーは1番あり得なそうな人が犯人とか、解決したようで実は黒幕がいたとか。恋愛小説はどちらかの元恋人が出てくるとか女子会で悩み相談するシーンとか、最後はどちらかが死ぬとか。家族ものならぶっきらぼうだけど優しい父親とか、水商売してる母親との希薄な関係とか。
一見無関係な人が集められて、何者かによって「死ぬか生きるかゲーム」をさせられるなんて設定、もう飽和状態ですよね。
たくさん読む内に、そういう定番パターンに刺激を感じなくなった…というのはあるかもって思います。
もうひとつは、知識が増えたからじゃないかな?
本は、他人の視点や感情を疑似体験出来る
場所ですよね。子供の頃って知っていることが少ないし、知っていても知識が浅い。また生活のほとんどを大人に管理されているから自由もない。そうするとどんな世界でも新鮮に感じて夢中になれる。
それが大人になるにつれ、毎日のニュースを見たり、増えていく知り合いと情報交換したり、自分でもバイトなど始めたり、お金も時間も自由になる分、自分自身で世界を見て、様々な経験値を貯めることが出来るようになる。
そうすると他人の目を通してする経験がそこまで新鮮ではなくなるし、そこまで魅力を感じなくもなる。
そこから再び情熱が沸き上がるとしたら、自分の人生に大きな転換があった時じゃないでしょうか。
例えば人間関係に悩む時はヒューマンドラマ、障害の多い恋にとらわれた時は片想いや不倫、話題になった年の差婚などを題材にした話が胸を打つはずです。寂しさで虚しい時は、温かい友情や恋愛話の主人公の気持ちを疑似体験することで、温もりや勇気を得ることも出来る。
私自身、死をテーマにした小説は「泣けるだろーほらほら感動して泣けー」と押し売りされているようで大嫌いだった時期があります。「キャラクターを殺せばいいってもんじゃない。感動的なストーリーを作るのに、死は一番安直な手法だ」と。
しかし立て続けに身内が亡くなった時、老いることや死ぬことについて考えたくなって、死を扱った小説に指針を求めたことがありました。実際に救われた作品もあります。
今でも死がテーマの作品で「生きるとは何か」みたいな帯を見るとやや抵抗がありますけど、それだけで敬遠することはなくなりました。自分のキャパが少しは広くなったような気がします。
心が求めないことに落胆する必要はありません。おそらくあなたが他人でなく、自分で道を切り開こうとしている時期なのだと思います。
今後自分の人生に何かあった時に、かつて夢中で接していた物語、或いはかつてはまったく興味をそそられなかった物語が、必要になる時が来るんじゃないでしょうか。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。