名前のない小瓶
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名前のない小瓶
私は愛する人を看取ったことがあります。
とても辛く悲しかった。
立ち直るまでにかなり時間がかかった。
愛する人に同じ思いはしてほしくない。
でも、もうあんな辛い思いはしたくない。
だから、私は看取られたいです。
ななしさん
そういう宣言をする以前に
送る文面を見直したら如何ですか?
それとも私が違いに気付けないだけでしょうか。
ななしさん
前者が悲しませたくないものだとしたら
「愛しい人を看取りたい」と書きたかったのかな…?
私もどちらかと言えば
愛しい人を看取りたいですね。
自分を見送って欲しくないです。
ななしさん
前者も.後者も同じ文なのですが……
ななしさん
前者も後者も何度見返しても
一緒の言葉見えるんですが…;
自分は相手が残っても
自分が残っても 寂しさは
きっと同じで、辛いから
それなら自分が看取りたいです
きっとはんぱない悲しさと
寂しさなんでしょうね…
ななしさん
悲しみを背負うのは俺一人で良い
ななしさん
多分どちらかが「看取りたい」なんですよねぇ・・・
どちらも嫌ですが、選ばなければいけないなら、見送る側にいたいです。
ななしさん
文の校正をしてね。
あと、それを差し引いても、なんだかとっても
自分の言葉に酔ってる感が見えます。(行間のせいかな)
あんまり深刻じゃないようにお見受けします。
どっちが先に看取ろうと、どちらも確実に亡くなります。
死にちゃんと向き合ってる人は、悲しみにもちゃんと向き合うし
喪の作業のトンネルからちゃんと抜けれると思います。
ななしさん
選べない。 どちらも悲しいから。先に行くほうも先に行かれるほうも。
ななしさん
質問が意味わかりません。
前者も後者も同じこと言ってますよ?
ななしさん
まず根本的に、前提が天寿を全うする話なのに、何で悲しいのかが分かりません。
そりゃ多少寂しいでしょうが、
それまできちんとお互いに向き合って生きてこられたなら、
どちらが先に天に召されようと、どちら側になろうと、お互いに幸せだと思えるはず。
たとえそれが“死んでくれて清々した”であっても。
というよりも、
終焉の美談を妄想するよりも、
終焉がお互いに幸せになるように、必死に今を生きることをしないとね。
終焉を美談にするのは意味がないし、どうでもいいです。
37歳主婦
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