紅茶に入れる砂糖の分量は
人それぞれ違う
自分には適度な味だからと
相手に差し出しても
相手が適度であると感じるとは
限らない
砂糖の分量だけではなく
熱め、ぬるめの温度だって
適度は違います
例え話ですけどね
自分が美味しいと感じる設定
ノットイコール
相手が美味しいと感じる設定
正論を論じる議論など
平行線で合い交わるはずも無し
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
人により変わるものは正論じゃなく個人的な感想だからね?
ただ、貴方の言っていることは正論だ。
ただし、正論の使い方を間違っている人がいるから、
副産物的にそうなっているんだけども。
正論を論じる時、そこに居るのは人など実態のあるものではなく、
理性や知性などの概念でなくてはならない。
ななしさん
…(ー_ー;)>゛
自分の好みと
相手の好みが
ノットイコールだから
こそ、茶をいれる人も
料理を生業にする人も
苦心するわけだし…。
もてなしの心を以って
接すればこそ、味の
良さを見てもらえる。
好みを主張するだけでは
相手の理解は得られん。
そう言いたいんだ、と
とればいいんだろうか。
(;・Д・)ワカンネ
by28歳くらいの人
ななしさん
交わることは無くても理解は出来る。
理解出来れば合わせてあげたり譲歩したり出来る。
平行線を辿ったとしても無駄にはならない。
ななしさん
正論では交わらないけど、一人ひとりの本音は受け止められる、宛メはそんな所だと思う。
そういう場所にしたい。
ななしさん
合い混ざらないこそ、理解だけはできたら良かったんだけどさ……。難しいな、十人十色の正論というのは。誰も優しさからの意見ゆえに。
ななしさん
必ずしもではないと思う。
ななしさん
そんな意見の人もいるんだなと思えれば十分じゃないですか?
ななしさん
つまりこんな感じかなと思った。
「相手を言い負かして幸せになるのは、自分だけだって事に気づいてないんだよ。
理屈で相手をぺしゃんこにして、無理やり負けを認めさせたところで、そいつの考えは変わらないよ。
場の雰囲気が悪くなるだけだ」
伊坂幸太郎 「魔王」より引用。
宛メで行われてる議論って個人的にこんな印象。
大抵小瓶主でない人達が、小瓶内容とは関係ないことで勝手に盛り上がってるから、せっかく流した小瓶をそんな場にされる小瓶主さんを毎度気の毒に思う。
小瓶主さんそっちのけの議論なんてただの自己満足だろうに、いつまでやり続けるんだか。
ななしさん
ん~‥
ノットイコールはノットイコールでいいと思いますょ‥♪
自分が美味いと思うんだから飲め!!と差し出す紅茶と‥
んふ♪あんなに堅物なのに♪あの人の好みは♪こんなにお砂糖たっぷりの‥甘~い紅茶なのね♪
と‥にやけながら飲む紅茶と‥
彼女が煎れてくれた紅茶なんだ!!味なんかじゃないんだぁぁ~!!
と‥感動で、紅茶かどうかもわからない紅茶と‥(笑)
ま‥♪
どれにしたって♪
紅茶なんだから‥♪
コーヒー苦手なアタシは♪
紅茶で良かった♪
なんて‥♪
熱けりゃ冷ませばよし♪
温くても、飲めない訳でなし♪
例えコーヒーが出てきても‥せっかく煎れてくれたのだから‥涙目で飲んじゃいますけどね♪
あ!!
言っておきますが‥
美人じゃないから♪
八方美人にはあたりませんよぉ♪
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
はじめに、お返事下さった方々ありがとうございます。
僕の想いを少しだけ小瓶に詰めさせて頂きました。
議論は論破する為ではなく、相手の考えと自分の考えを照らし合わせ、問題となるものをより良い方向に導き出す為の協議と思うのです。
ですから相手をけなしたり、勝った勝ったと自己満足してる人は協調性に欠け、社会不適合と言わざるをえません。
そもそも、正論などと誇らしげに言う人は何を基準に正しいとおっしゃるのか。
常識や法律は抜け穴だらけで常に穴埋めが求められ、時と共に変化していくもので不動ではなく正の基準にはなりません。
アメリカ人の正の基準は聖書です。証拠に大統領演説は聖書に宣誓して行われます。聖書は書き加えることも削除することも書で許していないので不動のものだからです。故に自己の行いは正、刃向かう輩は悪と言うことになります。
ですから返答もYes(正)、No(悪)とはっきりした民族性なのです。
人それぞれ自分は正。人類はくだらない正の呪縛から目を覚まさなければ戦争はなくなりません。
美しい地球の中で殺し合いをする野蛮な人類であってはならないと僕は思うのです。
ななしさん
熱い粥が好きな人
冷たい粥が好きな人
マザーグースより。
要は、十人十色、好みは人それぞれってことね。
ななしさん
自分の幸せが相手の幸せとは限らないのだよワトソン君。
…という言葉がふと頭をよぎったぜ!
まあ、それきっかけで会話なんかが発展していくこともあるけどね。
俺も、話し合いに対して主さんみたいに思った。(共感?)
正しさの呪縛ってのは何となく解る。
けど「正しさ」ってものに頼ったものも、幾らかあると思う。
出てきた以上、基準を無くすことは難しいだろうし、薄めていくにしても聖書のような、正しさの基準で和らいでいたものはどうなるかが気掛かりだね。
(何が和らいだのか、何目的なのかは解らんので匂わすような言葉ですまぬ)
ただ、聖書の良いところだと思うのが(新訳だけど持ってるよ)投稿者お返事から考えるに、
ある程度「何が正しいのか?」って目につく事から、考える事の基盤にもなり得ることかな。
正しさとは、なんなのか?
多分、本質的には、自分(達)にとって、巡り巡って良い結果となりそうな事が関係してきそうな気がする。
「何を利益とするのか、何を損とするのか、感情はどう動くのか」ってのが最終的にそれぞれの正しさに繋がるかも。
純粋(だとか言われている)子供達を見るに、生き物には多分、生まれる前から正しさの基準があるわけではないと思う。
(純粋というか、育った人から見れば未分化なだけ)
だからそこから別れていって、善も悪も生まれるんじゃないかな。
正義の反対は別の正義、みたいな感じで、正しさの基準が出来ることによって見付かる間違いもある。
今までしてきた行いが、知らず知らず人を傷付けていたことを知ったり、ね。(体験談です…)
生死について考えていたんだけど、そもそも生きている事が正しいかどうかも解らない。(死を助長する意味でなく)
基準がなくて困ったこと(どんな些細な理由にしろ)があったから、正しさが作られていったんだろうと思う。
戦争は、そうかな。正しさの呪縛から解き放たれても、終わらないと思ったよ。
なんつーかな、自分(達)の利益を優先して、相手を排するって言うのか…
(人間から見える)自然界の弱肉強食的な、殺伐さと言うか、思いやりのなさと言うか。
生きる為には食べなければならないけれど、生死に直結もしない、然程重要ではないのに相手を害する事とか…
逆に生死に直結するように重要な方向に考えが結び付いた結果害してしまったり…
相手にも感情や思念(が無いからといってしていいわけでもないが)があるんだ、自分と同じような部分のあるものなんだ。
じゃあ、それをされたら痛かったり、嫌な気持ちになる?
ならばどうしようか、選択肢はいっぱいあるぞ、みたいな。
なぜかは解らないけれど、生き延びる事や生きる事とかが生命と呼んでいるものにとって大事みたいだから、生命的には、少しでも選択の幅と多種多様性を作って置いて、あらゆる事象が起きても、少しでも残れる事を想定している…のかもしれないね。
(本当は生き残ることそのものが、目的でない可能性もある)
だから多分、戦争や争いは、食らい合い等と繋がりがあって、生きるために生まれた、ある種の多様性とも取れてしまうと思う。
要は、恐らく骨格みたいなもので、進化したとしても、人間の尻尾の骨みたいに、退化はすれど完全にはなくならないんじゃないかな。(そうじゃないかもしれないけど)
だからねー、うーんと、選択肢の使い方ってのかな?
「戦い」って因子ありきで、それを何に向けて、どうやって使うのか、戦争なんかを無くすに当たっては、個々人と全体にそこ等辺が問われるんじゃないかな。
多分いじめにある、いじめをする考え方や、その考え方になる原因、みたいな根深い部分があるかもしれない。
いじめに纏わる、親と子と周囲の環境と時代的背景と文化的背景と…まあ、そんな感じのを照らし合わせたような、色々。
たぶんばっかり言うけど、人が歴史を繰り返すのは、必要だったから、なのだ。(多分)
だからこそ、なぜその選択を選んだのか、という部分が過去と未来の後先を含めて、大事かと思ったよい。
蛾蝶(途中から感想文みたいになった)
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
考え方の似てる人だなって小瓶を読んでたら、過去の自分が流したものでしたw
もう少しで過去の自分に反論のお返事するところでしたw
最近は少し考え方が変わったかな。
相手の適度なんて分かんないんだから、できるだけ多くの紅茶を提供してあげたいな…みたいな感じです。
月日は流れ、携帯も変わり、考え方も変わりw
古い小瓶となってしまいましたが私は相も変わらず此処におります。
皆さんの紅茶も飲まさせて頂いたらなかなか美味しかったです!
お返事ありがとうございました!
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。