またひとり友達を失った。
今年で二人目。
失ったというより、自分からバイバイすることにしたわけで。
「友達なのに」とか「私の気持ちをわかって」とか、
「人が大変な状況だって言ってるのに、なんで「お大事に」とか「頑張って」も言えないんだ!」とか、
押し付けてきた時点で、
もう私の中でスパッと終わりがくるんだよね。
じゃあ、あなたは「友達」として今の私の状況を考えた?
私の気持ちをわかってる?
私は大変な状況の中にいるというあなたに、何か要求したことある?
わかって!と気持ちを押し付けたこと、ある?
他人はあなたのためだけに存在するわけじゃ無い。
みんなそれぞれにいろんな事情を抱えて生きている。
その度合いが人によってかなり違うこともある。
人の悪口言ったり噂話したり、人の性格のあれこれ指摘したり、
それって、実は幸せなことだってわかってるのかな。
本当に冗談なく余裕なく自分と向き合わなくてはならない日々の中にいるとね、
他人のことなどあれこれ言ってられなくなるのよ。
自分が苦しい最中だと、ああ、あの人もこういう苦しみを味わったんだな、とか、
だから私も頑張れる! とか、
自分のダメさ加減を否応なしに突きつけられるとね、
人に「わかってくれ」とか
「友達なんだからこれくらいしてくれるの普通でしょ! 」とか思わなくなるの。
「頼れるのは自分しかいない!」って現実の中にいるとね、
人に期待しなくなるの。
そして人に期待するってことは、
非常に身勝手なわがままだってことにも気づいていくの。
みんなその人なりの日常の中で精一杯生きてるんだな、って思うから。
その人の日常が、ご主人がいて経済的に裕福で、
一戸建ても持っていて高価な車に乗っていて、
健康で、これ以上の何を望むの?っていう人が、
人の悪口言ったり、あの人はこうだからダメ、
この人はこういうひどいことを言ってきた! など、
こちゃこちゃ言ってるのを聞くとね、あー、幸せなんだねーって思う。
その幸せに気づいてないんだね、って。
それでもこの人たちは、この余裕ある日常の中で精一杯なんだろうな、って思う。
私の精一杯とはまた違う形なんだな、って思う。
私は、自分の精一杯の中にどっぷり埋もれていると、人の悪口いう暇なんてないのよね。
ただ日々、生きることで精一杯な現実の中にいると。
口先だけの「お大事に」も簡単に言えないのよ。いくら社交辞令と思っても、
大切に思っている相手だからこそ、言えないの。安っぽい共感は、大切な相手に対してほど言えなくなるの。
ひどい裏切りな気がして。
少し前まで私も、みんなと同じ甘ちゃんだったから、みんなの「幸せ」さを否定はしない。
正直、以前の自分にはほとほと嫌気がさすよ。
それでも仕方がない。
その時々で、未熟なりにも、私なりに精一杯だったんだ。
だから、それはそれで良いと今は思ってる。
だから、周りの人のことも目くじら立てずに許せるの。
まるでこの世は個性だらけのムーミン村だなぁと微笑ましくすら感じたりして。
人に期待しない、人の事情をあれこれ白黒いわない、
人の性格のあれこれをいちいち指摘しない、
多少、私と相容れないことがあっても、この人にとってはそれが正解なんだな、と否定したりしない。
だって頑なに思い込んでいるものを、いくら私が横から言っても、意味はないでしょう?
自分で気づいて行かない限りは、人は本当にはわからない。
私もそうだったから。
それでも誠実に相対してきたつもりだよ。
友達が自分の趣味でやっていることのモニターを頼みたい、練習台になってほしいと言われれば、
私も興味あることなら、「いいよー」と気楽に受けてきた。
でも、気がつくと、人からそうして頼まれることばかりで、
さらにはだんだん要求がエスカレートしてきて、
なおかつお金がかかることも生じてくるの。
時には
「こんなことを始めたから、受けてみない? 全て含めて○万円なんだけど」って。
そうなったらもう無理。
そこまでは付き合えないから。
みんな正直よね。時としてぽろっと本音が出る。
「いやー、誰に声かけようか迷ったんだけど、あなたなら絶対来てくれると思ったからさ」とか。
「みんな忙しいじゃない? でもあなたなら「いいよ」って言ってくれると思ったからさ」とかね。
要するに私、「友達」なんてものじゃなくて、都合よく使える人員に過ぎなかったんだわ。
だから、だんだん要求が増えてきた人の前からは、それとなくフェィドアウとしてきた。
最初は無料で、次に送料だけでいいから、次に材料費だけでいいから、
次にあなたなら「友達」だから半額でいいわ、と。
そして最終的に「こういう金額でやることにしたから、どう? すごく役に立つよ」と。
そういう人に限って「友達」という言葉を簡単に使うの。
私は自分がやっていることの練習台になってもらうために、
いわゆる「友達」には声をかけるのは、すごく抵抗があった。
自分の都合で人を利用するみたいで、大切な関係の人ほど、頼めなかった。
だから、いつもいつも人の要求に応えてばかりで、お金持ちょこちょこ出て行って、
なのに私は人に頼めなくて、なんだか割りに合わないなぁとは思っていたけど。
自分も悪いんだ。それはわかってる。
なんでも受け入れてきてしまったから。
そのうちみんな要求が増えて、私の事情なんて簡単に無視してくる。
そして私のほうで「もうこれ以上ムリー!」ってなったときに、
相手はびっくりするらしい。
私が突然変わったかのようにでも感じるらしい。
「ごめん。今回は遠慮する」とか「それはやめてほしいのよ」っと断ると怒り出すの。
あるいは相手の気にいるように振る舞わなかったからと言って怒り出し、
今度は私の人格否定にまわるの。
もちろん断るときは丁寧に、相手の立場を慮って、ものを言ってる。
日頃の感謝とともに。。
それでも怒るの。
その人は私の感謝とかなんてどうでもよくて、
ただ当てにしていた私が使えなくなったから、裏切られたと感じるみたい。
私は裏切ってなどいない。ただ、私にも選択する権利はあるってこと。
あなたと同じように。
自分の選択は大事だけど、人には選択肢などないかのように振る舞う、
そしてそういう人に限って必ず「友達なのに」と言いただすの。
私はでも、言わない。
「その言葉、そのまま返す。それこそ友達なのに、私の事情は完全無視ですか?」と。
あなたにとって「「友達」って、ただの都合よく使える道具なんですか? 」と聞きたい。
でも言わない。
図星だから、そこを突けばさらに激怒して話はこじれるだけ。
そういうあなたのエゴを満足させるため付き合う時間も精神的余裕も私にはないのよ。
そんな時間もエネルギーも、もっと肝心な他のことに使いたいの。
というか使わなきゃならないの。
私は大切にしている間柄だからこそ、簡単に「友達」なんて言葉は使えない。
それってすごく身勝手な気がするから。
それより態度で示してきたつもり。
でも、大方の人は「友情」より「友達」っていう形ばかりのラベルのほうが大事みたい。
まるでFBのお友達の数を競うみたいに。
とても疲れに疲れて、だからもういいかな、って。
だからさよなら。