親とも友達とも、誰からに心を開くことがうまくできない。
生きるのが面倒くさくなったり、調べてみたら回避性パーソナリティというのによく当てはまる。
上手く、立派に完璧であろうと、どうしてもしてしまう。
完璧なんてないし、自分がそう判断しやすい特性だとも理解している。
けど、どうしてもその理想に近づけない自分を責める自分がいる。
それが、とてもとても悲しい、毎日。
毎日、木や鳥や花を愛して、おいしい野菜を食べて、それだけで幸せと思いたいのに、
どうしても、負け犬の戯言と思っている自分が、いる。
だから私、同じように空っぽに生きてる人がいたら、
その人達に私の作った朝ごはん、一緒に食べてもらいたいんだ。
おはよう、って言って、いってらっしゃいって言って、ハグだけさせてくれないかな。
でも、きっと、自分の理想からはずれて、デジタルな人のことは
否定してしまうんだろうか。
そう思うと、私にはそれができないのかもしれないとも思いつつ、
お味噌汁を美味しいといってくれるなら、大丈夫かもしれない。
そんな夢物語、どこかで叶えられたらいいなぁ。
寂しいな。今日も。
おはようとこんにちはと、いただきますとごちそうさまと、いってらっしゃい、おかえり、ただいま、おやすみ。
大好きな言葉を、言える機会がないや。寂しいな。
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ななしさん
犬を飼いハグすると良い。
画面越しの人にこんなこと言われたら気持ち悪いと思うかもしれない
私は、小瓶主さんにお味噌汁を作ってもらう側の人間になりたいと思いました。
些細な幸せを喜び合って、そこにいることを確かめ合って、きっとそれができれば幸せなのだろうけれど、何故か何かが邪魔してできない。思考の癖って直したくても直せなくてぐずぐずしちゃうものなんだろうな……
幸せになれること、お祈りいたします。
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