広い世界はいいもんだ。
何だってある。
綺麗なものも汚いものもある。
汚いものを見るのは実は嫌いじゃない。
それらは自分の抱く人間不信を補強するだけではなく、それらが何故汚いのか、どういう汚いやり口をするのか、それら自身にそのつもりがなくとも教えてくれる。
人間は自分の持っている情報と辻褄が合いさえすれば、物事を「理解した」と感じるものだ。
例えどれだけ自分の了見が狭かったとしてもね。
どれだけの詐欺師が生まれた事だろう。
一旦詐欺のアイデアが作り出されれば、どんな人間でも簡単に真似できる。
そして悪行は伝播する。
わたしはわるいことをしようとおもってやったんじゃない!ほんとうはさびしかった、くるしかっただけなの!
と言う声も聞こえるが、“悪”はお前が決めるのもではない。
社会だ。お前以外の人間だ。
そしてお前は既に判断されている。
悪行を行う度に、お前の周りからどんどん人は居なくなっていく。
お前には何も言わずに去っていく。
新しい、何も知らない人間を取っ替え引っ替えすれば問題ない?
いいや、悪を行う事に慣れたお前は既に、一見楽で安直な悪のアイデア無しでは行動することが出来なくなっている。
新しいお前のお友達もすぐに気づくぞ。
お前の悪行に。
これは“本当”の事だ。
”本当“の事は誰も言ってくれない。
それがお前以外の要領の良い人間なのだよ。
何故って、本当の事を言ったら、自分の身が悪の危険に晒されるからね?
誰がヤクザの目の前でコイツはヤクザだ!なんて叫ぶだろうか?
人間にとっての善は?
「“みんなで”穏やかに幸せに暮らす事」だ。
その逆、悪の辿る道は“孤独”だ。
以上の事を信じなくたっても良い。
はなから期待していない。
ただ、お前の悪行はお前以外の全員が気づいているという事実の、親切なリマインドだ。