最初に、このゴミ屑のような私の文章を少しでも読んでみようと思った貴方に心から感謝を。途中で読む気が無くなったらそれは私の文才が無い故なので気にせずサンドバッグとしてお使い下さい。
昔書いた内容をここでも張ってみます。一言で言えば「無能過ぎると嫉妬すら出来ない」です。
一般的に無能な人ほど嫉妬を感じると言われますね。主な理由付けとしては自分の力量を見極められないとか自分の感情をコントロール出来ないからだとか無能の方が嫉妬しやすい理由は他にも色々あると思いますが私は今まで嫉妬出来た事が多分無いです。これが他人と比べることがなく、精神的に成熟した事実に根付いているのなら望ましい事だと思いますが残念ながらそうではありません。気づけば他人と比較していますから。
嫉妬に関する本を漁ってみるとよく記されているのは身近な人が成功すると嫉妬するけど自分とはかけ離れた人、例えば芸能人やトップに立つスポーツ選手などが成功しても嫉妬する事はそうそう無いと言います。とあるサイトから言葉を借りると嫉妬とは”獲得可能性と親近性の差”から生まれるとの事です。
例えばプロ野球選手が活躍した、というニュースに嫉妬する人は多分そこまで多くないでしょうが、自分よりも後に何かを始めた友人が自分と同じくらいに上手くなってしまったら心のどこかでモヤモヤしたり、或いは「あんなの大したことない」「自分の方が上手い」「調子乗るな」と思う事はそう珍しくないみたいです。
これが必ずしも当てはまるかはさておき、本当の無能だと身近に居る人でも、自分よりも歳が低いなどで(便宜上)立場が下のような人にでも嫉妬が出来ないのです。所謂どこにでもいるありふれた人間でも(真人間の方にイメージしやすいように例えるなら)オリンピック出場選手、もしくは東大卒業した人のように思えるのです。嫉妬出来る程の能力が私に無いんです。つまり世間でよく言われる無能であればあるほど嫉妬するのではなく、逆U字型なのだと思います(単純な右肩上がりではなく、ある一定までは無能度合いが高まれば高まるほど嫉妬する頻度も増えるがある所からは嫉妬を感じなくなるという事です)。
そして世の中に溢れている情報は基本的に普通の人間を対象とした物で、私のような本当の無能には対象外なんだなと分かってしまいました。現に社会は無能な人間の居場所は用意出来ないからです(ここで言う無能は分かりやすい障害を抱えている人の事ではありません)。例えばやりたい事を書いてみようだとか、小さな成功体験を積もうなどと書いてありますがそれが出来ないのが私です。本当に何をするにも苦痛なんです。
心理学、マネジメント、他にも色々やれるだけやりましたしカウンセリングも受けましたが何十年かけても無能は変わらなかったです。だからといってそれぞれの学問やカウンセラーを非難するつもりはありません、そんな資格は私にはありません。人が作り出したものなんですから絶対ではないし万能でもないし特効薬でもない、ただ本物の無能には通用しなかっただけでしょう。良く本物の無能は自分が無能である事に気づかない、気づいたなら後はどう立ち向かうか、とよく言われますがそれを信じ何十年もかけても普通の人間になれなかったのが私です。正直もう疲れました。或いはどんな人間にも取り柄がある、もしくは自信が無いのは自分の持っている魅力に気づいていないだけ、等とも言われますがそれも真人間のみの特権でしょう。
自分がどう無能なのかは正直一万字で四分の一も書けない程の量のエピソードがあるのでとりあえず一部を書きます。学園生活ではどれだけ時間を割いても学年最下位で年下の相手にも余裕で抜かれ、運動も同じくダメ。先生からは“彼ほど成長が無いのは初めてだ”と普段はとても温厚な先生が疲れきった顔で言ってました。精神科のお医者からは型にはめられない鬱と診断され“現代医学ではあなたの鬱は治せない”とさじを投げられました。バイトも長続きせず常にお荷物、どんな分野でもどれだけ時間をかけても初心者レベルから抜け出せません。みんなが出来る事が何一つ出来ない、というよりは(一般的な人が)不得手と言っている人の20分の一くらいの成果(もしかしたらもっと少ない)しか出せないのです。何より成長が無いんです。だから周りの人を見ても嫉妬出来ないのだと思います。“自分だって本気出せばあれくらい出来る”みたいな事は露ほどにも思えませんから。
やりたい事も何もないですし今まで楽しいと感じた事も無いです。何をしても疎ましく思われ、怒られますから分かっているのは自分の考えだけでなく存在自体が間違っている、という事だけです。嫉妬を感じないのなら何を感じるかと言うとただ悲しいんです、この世に生を受けた事自体がただ申し訳なく悲しい。よく死ねば良いのにと言われますが内心ではそう言ってくれる人に対して“じゃあ楽に死なせてくれ”と毎回思ってます。嫉妬すら出来ない欠陥人間が何を言っても無駄だとは重々承知ですがそれでも生きるのが億劫だと思わざるを得ません。