身の回りの環境が比較的整っている元気な人向けです。
というよりそういう前提で書いているので不快にさせてしまうかもしれません。
2行以上の空白は緩衝材。
「救われる」とは何だろう
ただ現状に甘んじること?
現実を見据えもしないで妄執にふけることが可能になること?
それとも、理想を捨てること?
本当は多分そうじゃない。
否定ばかりして人が成長するとは思えないけど、肯定ばかりで成長するとも思えない。
肯定だけを与えるのは、貧しい国の人に魚を釣る方法を教えず気まぐれに魚だけを与えるようなものだ。
本質的な解決からは程遠い、一時的すぎる。
もちろん自分だって「救われた」なんて安易に言ったことは何度もある。
そうやって少し元気になった振りをしていて、ある日気付いてしまった。
結局、何一つ変わっていなかったんだと。
今自分が大して色々なことを悩んでいないのは、今いる環境がぬるま湯だからだ。
少しでも先に進めばきっとまた溺れる。
コンプレックスも解消されているわけではなく、ただそこから目を背けただけだ。
きっと、もっと真っ当になりたかったはずだった。
こんな甘さを身につけたくはなかった。
だから藻掻いていたはずだ。
なのにいつから甘んじることを求めていた?
ただの現実逃避によって見かけだけ幸せな人間になるくらいならば死んでしまえばいいとまで思っていたのに。
くずだと自覚すればするほど、そういう部分が増幅され、
精神面の弱さを憂えば憂うほど、自己への甘さが増した。
どんどん当たり前にできていたことができなくなっていって、
そして最後には、その全部を環境のせいにしたがった。
これ、だーれだ?
私。
と、もしかしたらこんな文言、読んでいて決して心地よくはないであろうこの文章たちをここまで読んでくれた誰か。
これは無礼かも、ごめんなさい。
世の中全部が私のように捻くれた自分勝手ではないと思うから。
ここまで精神的辛さゆえに自分にひたすら甘くするのは良くなかったという後悔を語ってきたけれども、
かといって自分をひたすら厳しく律することが美徳だとも思わない。
なぜってそちらの方面でもまた私は失敗しているからね。笑
アリストテレスの言う通り、全てにおいて中庸に重きを置くべき。
そして本当に相手を大切に思うのならば、心配するのならば、解決策を提示するべきだ。
そこをずっと間違えたまま、耳に心地良い言葉だけを並べ立てることが優しさだと勘違いしてきた。
共感することを味方になることだと取り違えてきた。
こういうことに気付くまでに堕落してから4年を費やした。
自分にとっての幸せは、現実を徹底的に直視できて、自分の現在に後ろめたさを覚えず堂々としていられること。
今はそう在りたいと思う。
理想が欲しくて頑張っていたあなたへ、
あなたは今でも努力できていますか?
本来の目的を見失ってはいませんか。
理想にはなかなか手が届かなくて辛いこともあるかもしれませんが、求め続ければきっといつの間にか手中にあると思います。
自分にはそういえば夢があった。
だからここで共感だとか同情だとか、甘い言葉だけを求めるようなことはもうやめにしようと思う。
きっと惰性でまた戻って来ると思うけど、その時はポジティブな小瓶を流したいな。
4年間とてもお世話になったし、色々なことを深く考えるきっかけにもなりました。ありがとうございました。
本当に家庭や学校の環境が良くない人にとってはかなり良い場所だろうとも感じる。
でも私はそうじゃないからここでひと区切り。
最近ずっと匿名で流してたけど、今回くらいは名前をつけて流そう。
また会う日まで。
Au revoir✿