決まって言われるのは『本当に相手のことを考えているのか』とか、『ありがた迷惑』とかって感じの傷つくコメントばかり。
もしかしたら、『優しさのつもりで相手が喜ばない事をして自分もガッカリするよりは、相手が本当に喜ぶ事をした方があなたのためでもあるでしょう?』みたいなポジティブな意味もこもってるのかもしれないけど、こっちだって常にそう受け取れるだけの余裕があるわけじゃ無い。
第一、おなじような事をしても、他の人にやってもらったら喜ぶのに、自分がやったら嫌がられるなんてのは、よくある事。こうしたら相手が喜ぶ、という自分の考えが余程間違っているのだろうか。
人によっては『あなたの優しさや親切をきちんと受けとってくれる人を大切にすればそれでいいんです』と言ってくる事もある。しかし、相手を選んで親切にするそのこと自体が不誠実なのではという問題提起は、既に多くの哲学者、倫理学者、文学者によってなされているではないか。
自分自身、そんなタコツボのような空間で『自分に優しくしてくれる人とだけ関係を構築する』閉じた関係を望んでいる訳じゃ無い。もっと広い世界と接したいと思っているが、今の自分の人生や性格でそれが叶うとも思えない。
社交的で誰にでも歓迎されるような『普通の人達』は、皆どうやっているんだろう。
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ななしさん
こんばんは。
人に優しく(親切に)すると、ナメられたり自分に酔ってるだけじゃないの?なんて返されたりすること、ありますね。
相手が本当に喜ぶことをする…
それは人の心が読める超能力者にしかできない離れ業だと思います。
優しさ、気遣いは確かに人を選ばずに行いたいものですよね。
ところで、社交的で誰にでも歓迎される人、というのは、この世に存在しないと私は考えます。
私個人のこれまでの経験と、古今東西の本をできる限り読んできて分かったことです。
その逆もまた然り。
まぁ、優しさ・親切・気遣い、この辺りはしょせんは自己満足に過ぎないと私は捉えています。
相手が喜ぶか否かは、相手の領域。
自分がどうこうできるものでは、ない。
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