ちょっと考えてほしい。
結論っぽい部分は最後にありますから、長々と文を読みたくない方は飛ばしちゃってください。
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感謝についてどう思っていますか?
受け取って嬉しいもの。頂いたものに対する対等な返答。
僕は、僕が「ありがとう」と言えば、それがわかります。あなたもそうでしょう? 自分がこれに感謝した、ということがわかりますね。
落とした荷物を拾ってくれた同級生に、同僚に、道すがら出会った人に「ありがとう」と言う。相手はそれが聞こえる。拾ってあげて良かった、と思うかもしれないし、当たり前だからとさほど気にせず行ってしまうかもしれない。でも相手が耳がきこえなかったら? その人は、あなたの役に立ったと嬉しくなるわけでもなく、あなたが真摯に感謝する人とも知らずに、ただ行ってしまうのかもしれません。
「いただきます、ありがとうございます」と言う。作ってくれたお母さんに届く。でも、農家のおじさんは分からないし、スーパーで対応してくれたお姉さんにも聞こえない。
僕らははたびたび範疇でないところを好都合で埋めてしまいます(見えないところを好きに上書きします)。自分を安心させるために、自分を守るために、自分を制するために… いただきます、と農家のおじさんに感謝を届けるには、直接会いに行くとか手紙を出すとかしないとならないのです。
これは現実論であり、目に見えない物を否定しようとは全く思っていないことは理解してください。どんなに平和な世界にについて想像を膨らませていても、あなたが見るニュースでのみお花畑が映されることはないのです。
あと、特殊な例なんですが、あなたは感謝されたら何でも嬉しくなったり許せたりしますか?
運動会にて、赤組の一員「ミソスープがさっき転んで(順位を落として)くれたおかげで赤組が逆転できたよ、ありがとう!」
うざいw
これはあからさまな皮肉ですけれども、現実にはなんなら転“ばされ”ているやつらがいます。「転ばされてくれてありがとう。そのお陰で赤組が逆転できたよ=私たちの役に立ったよ」と、彼らは言われます。
あえてここではそれが何か書きませんね、先入観を持たれたくありませんから。僕が前出した小瓶をご覧になればわかるでしょう。
ーーーーーーー小まとめーーーーーーー
感謝って、そもそも伝わらないと意味がないと思います。もっといえば、言葉は伝わらないと意味をなしません。
もちろん、日頃からささいなことに感謝を持つ…ことは素晴らしいし、実際自分を形作っているでしょう。言霊って素敵な表現ですよね。僕は表現そのものも好きです。ただ残念ながら“普通は”自分にしか??←鹿の絵文字)届きません…
そして、届いたとして、相手が絶対に快く受け取る確証はないのです。僕らにとってはありがたいこと、でも相手にとっては悲しいこと。一方だけ嬉しいこと。片方だけ得する取引、それを対等とは言いません。僕らは相手が何を思っているかを知ることはできません。一方、これに対して察する・尊重して応じることは、美しい日本文化として大切にされてきたことでもあります。最近はこれを盾に偉ぶる人が増えてしまいましたが…
ーーーーーーー大まとめーーーーーーー
感謝っていわば高貴なことだから(たぶん)、言われた方だけでなく言った方も満足するところがあると思います。これはべつに良いのですが、感謝を自分を正当化する・楽するための道具として使ってほしくありません。僕はこの言葉の商標権を持っているわけでもなんでもありません。でも、僕らが気付かないところに、行先がない感謝、公正を模した不公平があります。
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