心の整理整頓的な。なのでお返事はいりません。
身内にマトモな日本語が通じる人間のいない家庭環境で育って早20年。色々と拗らせている私も今年でハタチの仲間入りをしました。
ウチの身内はみんなほんと呆れるくらいにおかしい人ばっかりで(自分を棚に上げてるつもりはありません、私も含めてです)普通の会話なんてしたことがほとんどありませんし出来ません。誰も話が通じないので何を言っても無駄です。
特に父は、私に一切興味がなく、高校を卒業したことも知りませんでしたし私が二十歳になったことも分かってません。それはいいのです。
問題は次。興味がないわりには、弁当やらお菓子やらを私に買って来ます。
私は自分で物を選びたいので、いらないと断ると父は「じゃあ買って来ない、勝手にしろ」と何故か激怒。
それだけで既に意味不明なのに、その数ヵ月後、また私に物を買って来るから余計に意味が分かりません。そして私がまた断るとまたもや激怒。
買ってくれるだけでありがたいだろうと最初は思ってたんで素直に受け取ってたんですけど、なんでもかんでも受け取ってたら駄目になるんで、せめて自分で選びたいんです。それなのにそこを怒られる意味が分かりません。勝手にしろとか言われなくても私は最初から勝手にしてます…って、屁理屈ですね、すみません。
このように、私は自分で選びたいんだ、というと父は何故か激怒するのです。これを現在まで何年も何年も繰り返してきました。現在もそうです。受け取らないと激怒するって、全くもって意味が分かりません。まぁ、私が素直に受け取ればいいだけの話なんですが…。
基本的に何を言っても正常な話が出来ないので、私はいつしか本当の話を父にするのをやめました。やめたというよりは、いい意味で諦めた。父や周囲にマトモな話を期待するのを諦めることにしました。なんかもう、変に期待したり執着するのがめんどくさくなったっていうか。父は父、周囲は周囲、私は私なのだからって区切りを付けるようになったら、昔よりはかなり精神的に楽になったように感じます。
働いていることも言ってないので、父や周囲は私を怠け者だと思っているかもしれませんが、その話をすることすらも億劫で面倒になってしまったので仕方ありません。
あぁ、なんだか20年間を無駄にして損した気分。父や周囲はマトモな話が通用しない人達なんだってことをもっと早くから知ってたら、こんなに自分を必死で周りに理解して欲しがることも、マトモな話をしたいと執着することも無かったんだろうな。
私がこの20年間でやってきたことは、日本語の分からない外国人に下手な日本語で必死で喋ってたようなもの。そりゃ、通じるわけがありませんわな。
うん、これからはもう、理解の無い人に執着するのやめる。単純にめんどくさいし、何よりも執着に気付いた時自分で笑った、自分は20年間も外国人に日本語で喋ってたのかよって。
私はいつ死んでもおかしくないような脱け殻みたいな生き方をしているし、友達もいないし、同年代と会話出来ないし、大して努力もしたことないし、新人だからお仕事もあまり貰えなくて暇な時間が多いけど(ちなみに下請けの仕事)自分で好きで選んだ仕事だからもうしばらく続けてみたい。こんな私でも置いてくれるだけでありがたい。自分を無理矢理納得させてるわけじゃなくて、素直に。
今の仕事が、こんな人生に灯っている小さくても大きく輝く光であって、その光を大事にしていきたいなって思う。
今の自分の生活が生温いって怒られるのは充分に承知してる、自分には今この現状を保つのだけで精一杯。だって今までこの20年間、ほんとどす黒くて、光なんか見えたことなかった。でも最近になってやっと、小さいけど見え始めたから、だから今の仕事もう少し続けてたい。
ついでにいつか父を許せるようになるといいな、そんなのいらないって断られるだろうから、面と向かっては言わないけど。