出口がない、模索中というのが、
何かに取り組む苦しさよりも、もっとしんどいんじゃないか?と
正直、しょうーじき、思います。
フラッシュバックは、そういう記憶があって、
その記憶に、「これはこういうこと」意味付けた
いつかの自分の価値観を
今現在も、別の場面でも優先順位一位で、
採用し続けているから辛い・・という
解釈もあります。(わたし)
(
38265通目の、お返事にも書いた)
わたしは、カウンセラーさんじゃないし、
はっきりいって、それこそ、主さんと大まかには同じような
立場です。
折り目がしっかりつきすぎたものは、
かけるアイロンの数が、尋常ではないので
日常生活が、フラット(寄り)のゼロ地点になるまで
場数は要ります。
甘くはないけど、やっていると、コツがどこかで見えてくる
と思うんで、
わたしは、正直その過程の中で(ブザマなのよ)
他人って、なんにも知らないから、
あたりまえなんだけど、その人からしたら、
表面に見えるわたしの姿だけ見て
(過程とか、克服中とかリハビリとか、背景知らんから)
「なんだこの人〜」とか、思われることは
ほぼ、日常的にあって、
わたしは、気にしいの、カッコばかりつけたがる
自分を良く見せたい病が強いから、
過程であれ、そんなふうに思われたり、見られたりするのが
屈辱的で(断定されること)、
なかなか、進まないというのがあります。
実際カウンセラーさんたちにも、
「いい面だけ見せてその中でやりくりしようとするから、
いつまでたっても、なんにも変わんないんだよ!」って
毎度怒られます。(イテテテテ・・)
自分をゆるめるとの前提は、
理屈ではないんですが、鼻くそほじってる自分も
見せてまわる必要は皆無ですが、
それも自分だしーと、認める、恥じないことからかな?と
なんとなく思います。
ちなみに鼻くそほじってるわたしも認めて〜は
結局、単なる承認欲求なので、他人に受け入れないと
自分は生きられない、のひとと同意語です。
(結構落ちる穴です)
とはいえ、オレがやりたくてなってます、の
折り目は、個性だと思うので(能動的)
アイロンで伸ばすことなんてしなく低と思います。
そのまま、そのまま。
それが、すき、というひとがいますから。
世の中っておもしろいですよ。
内容薄いが長くてごめんよ・・(トホホ)
まいたん