ななしさん
よその人に対しては、全部がその人らしさに見える。
或いは全部がそうじゃなく見える。
自分に対しては、全部自分らしさじゃない気がする。
或いはこっちも、その思い込みで、全部自分らしさな気がしている。
まあ、人に対しても自分に対しても、あんまり意識し過ぎるのも疲れてしまったから、どうでもよくなったのもあるかな。
要は、俺にとって何でもいいんだ~。何が好き嫌いは、あったとしてもね。
なんにせよ、ある程度の枠や決まった、もしくは決めたいものがあろうとなかろうと、自分は自分だと思うのだ。
自分らしさってのはおぼろげだから、頼りにならないけど「どうなりたいのか」ってものが同時に出来るから、頼りにもなる。
その「どうなりたいのか」というのは自分らしさとは言い難いけど、自分らしさを形作る一つの要素にもなる。
自分らしさ、とは何んだろう?と問われると、「人から見た自分」も「自分から見た自身」もある。
どっちが本当かと問うなら、どっちも本当の事。同時に、間違ってる事。
例えば「わがまま」って言葉があるけど、それは人から見て。なのか、自分から見て。なのかで、互いの持ってる意味が大きく変わってしまいかねない。
人の「わがまま」という言葉を、相手側の自分に対するイメージを受け止めるか、自分が予め持っている「わがまま」という言葉とイメージで受け止めるのか。
どっちの受け止め方が傷付かない、気持ちが良いかは置いといて、一人一人がそれを選ぶことが出来ると思う。
相手か自分か、もしくはその二つを組み合わせたものか、基準を意識的に考えなくても選んできたんだろうと思うな。
その、選び方っていうものも、自分らしさの内に入るかな?
まあ結局長々と書いたものの、「自分自身に解っているかもしれないし、解っていないかもしれないもの」
…なのかもしれぬと思いましたぞ。
…曖昧な言葉って、便利だね。自分で書いておきながら、何にでも当てはまる気がしてきた。
人間の内側も曖昧にしか解らないから、こんなんなるのかもしれないけど…
だからこそ「どうなりたいか」ってのも、浮かんでこれると思うのさ。
正直、言葉にならないのも「自分らしさ」かなって思ってみたり。
蛾蝶