自分がどうしても信じられないです、大嫌いです。
同い年どころか年下にもなめられてばかり。ばかにされてばかり。例えば、
友人と思われる人に「今度遊ぼーね」と言っても皆「うん」とはいわず、「うーん…忙しいからわからない」と言うばかり。悔しいし、傷つく。自分といるのがつまらないのか、恥ずかしいのかって、悔しい思いをします。
自分の性格が嫌いです。家では馬鹿みたいに笑って馬鹿みたいに一人で踊って、急にしにたくなって一人で泣きじゃくる。
人前じゃクールぶろうと思って振る舞うけど、すぐぼろが出て情けない表情や声、どんくさい面が出てくる。恥ずかしくてみっともなくて消えたくなる。接客業をしてるけど焦って失敗ばかりして声もうわずって本当に毎日しんどいです。こんな性格だから、です。
「自分なんていらにい」「死んでしまいたい」というような暗い考えの主人公にした歌とかありますよね。最後は救われるような。
昔はそういう歌を聴いて感動していたのに、
今は、羨ましい、恨めしい、そんなにうまくいかないよ。などの考え方しかできなくなって、「感動して」ではなく「羨ましくて、悔しくて」声を荒げて泣くようになってしまいました。
数年前、身内が自害しました。
自分が死ねば良かったのに、羨ましい、と、最低のことをいまだに思っています。
誰か、助けてください
ななしさん
感情の振幅が大きいのをまずご確認ください。自分が号泣したくなった時に気が付くのが一番いいのですが、声を荒げて泣いた後でも構いません、そのことに名前を付けて上げてください。「あ、声を荒げて私は泣きたい気分だったのだ」と。やっている最中にやれるようになると、自分の行動に客観性が出てきます。自分をどこかから見ている感覚です。ただ、観るだけ。そこに善悪はありません。自分のありようが見えたらそれでいい。どうしなければならないはありません。止めようと思えばどうぞ。続けたいと思えばどうぞ。
性格はあなたではありません。
性格はあなたが生きやすいように別のところから持ってきた、いわばコートのようなものです。私たちは丸裸では生きられないので、覆う物を着ています。ですから、脱げる時は脱ぎましょう。
脱ぐというのが、先ほど言った客観性に繋がります。
馬鹿みたいに笑う、馬鹿みたいに一人で踊る、死にたいと言って泣く、そういうことをしている私(主さん)を、感情に任せず、こちらで見るということです。
できればどうぞ、優しい眼で見て上げてください。
そうしたいという気持ちを優しく許してあげてください。
主さんが否定したい行動は、やったとてなんの不都合もありません。
主さんの中の悔しさや恥ずかしさを、どうぞ掌に載せて眺めてください。「私は友達を誘ったのに同調してもらえず悔しいし恥ずかしいんだなあ」です。そこにどっぷり入り込むのではなく、そうなんだなあ、です。
いつか、そうしているうちに、まあ、自分ちゃんとお仕事してるし素敵な歌を見つけられるし、自分って結構イケてるじゃん!って思えるようになると思います。(この部分は今も思えてるかもね)
主さんも踊るのね。踊るのは良いよね。