全部捨てろって言う。
全部全部捨てろって。
上に塗り重ねた賞状もトロフィーも
って
それはもともとないけれど
洗いだしたあれやこれや
当たり前になりすぎていた
あれやこれや
常識でしょ!!の大半を
置いていけと言われます。
自分もそれがわたしにとって
一番いいことだってわかってる。
どこにも書けないあれやこれや
うまく呪いが外せない
部屋にいて、たまに外に出て
わたしは自分が誰だかわからなくなる
きっとそれはよい兆候
粗く名前をつけるなら
所属のない
まりちゃんで、いのちをころがして生きていく
私の中身はふざけてないけど
小学校の低学年
それ以上は辛くって
きっとそれが自分の位置
歳を取ることが嫌とかじゃなくて
(ちょっとはやだけど)
自分じゃない人になるのがいやで
このまま姿、形だけ老いて
サラッと死んでいくのかなぁ
鏡を見る度乖離があって
きっと
慣れてないだけだよね
今夜はスーパーの帰り道
とてもじゃないけどさみしくて
うちにかえれなくて
牛乳一本買ってグルグル歩いて
一回冷蔵庫に、入れに戻って
また歩いて、
なか卯で小うどん食べたらちょっと元気でた
ちぎれそうにさみしい
小さくむしった銀紙みたい
どこにも動けない
しってるから
よけいさみしい
46672通目の宛名のないメール
お返事が届いています
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
ぬし)→4通目さん
やさし*
ありがとね・・
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
まりちゃんぬしです)
研修という名の講座から帰ってきて、
その前からですが、
部屋にいると煮詰まってしまうため
近くのファーストフードてんをはしごして
3時間くらい、本を読んだりする日々です。
講座も含め、自分の洗い出しをしました。
全部出ました。
でも、いうことを聞かない頑さがあり、
ダミー問題に自分でエサを与え続け、とどまることをしようというハラしかありませんでした。
夜のマックにて、行くあての無さげなおじいさん達に囲まれながら
それがなんだかわかりました。
わたしと同じ歪みを持つ人が、この宛メに、たった一人でもいれば
よかったら、読んでやってください。
かなりねじれているので、いまはいないかもしれないけど
いつかのために。
変わるということを、頑に拒んでいたのは
イコール、逃げること、と思っていたからです。
もう、小さい頃からの、子供特有の間違えた学習です。
わたしは、なぜか、融通が利かないところがあって
まっさらの状態で、何かを教えてもらうと、
そのやりかたが自分に適しているかどうかには、着目せず、
とにかく、教えてくれた人のやり方で
やりきらないといけない!という、思いこみがあります。
そして、その一番最初に習ったやり方が、出来ないとなると
自分を責めるのです。
教えてもらったことも出来ないのに、
ほかのやり方をするなんて・・
それは、逃げだぜ!・・というバカ回路です。
いまは、それはアホちゃう?があるので
あんまりないんですが、
(ゴール行ければ、ルートなんでもアリだろ?
または、ゴール設定していても、事情事情で
変わることもあるし・・など)
10年前、以前までは物心ついた時から
ずっとこれだったので
それまでの記憶のあるものは
うまく、抜けないんです、いまも。
それが、踏み出せないハッキリとした理由です。
仕事がらみだと、再構築というか、シフトチェンジできたんですが。
++
で、わかりました。
ああそうかって。(足かせのデカいやつとれた!)
はい、ここからです。
以前小瓶に、セルフイメージのひっくり返しの話を書きました。
わたしは、その図(ピラミッド上の図があるんです)を見て
猛烈に、怒りが沸いてきました。
非常に健全な怒りです。
愛の怒りと申します。自尊心ですね。
正体を持たないと豪語できるほど、自分というものがないわたし。
いつも、他人の言いなりになることしか
脳の中にはないわたし。
パブロフの犬の、人間版です。
宛メで書いているわたしの言葉は、
96%くらいは(のこりは微妙に社会性)
本当に思っていることです。
少しずつは、出せるようになってきていてもブレーキがかかっていた。
そして、もしかしたらですが、
いえ、もしかしたらじゃなく、
この96%と豪語していた言葉さえ、
全部とは言わないけど、なかなかの比率、
誰かの言いなりのわたし、というベースありきで
ほざいていた「本音まがい」だった可能性もあります。
結構、本人的には怖いこと書いています。
「うそ」とは、また、少し違うものです。
自分の前提が変わると、その上に積み上げられていくビルの形も変わります。
わたしのばあい、物心ついた時から
他人軸で、誰かのいぬとしてしか、生き方を知らない。
共依存ですね。
だから、わたし本人を含め、わたしを知る人は
だれも、その、ブレーキの取れた私を知りません。
(壊れて暴走という安易な意味ではないよ)
今日から、すべて捨てていくをやりはじめています。
どれだけ時間がかかるか、もう、わかりません。
若い子なら、いつもいうけど、不幸でもひどくても
こすった数は少ないから、
わりと、自分に戻れるまでの時間は早いんです。
わたしは、いい歳なので、それがいつになるのかはわからない。
ブレーキが外せても、
生きるという行為自体が、
上がったり下がったり旋回する飛行機の操縦桿を握るひとのように
風に乗って、進み続けて行く行為だから
(このくだりのみ、受け売り)
ま、誰であっても終わりはないと言えばそれまでなんですがね。
私の敬愛する、ななしの女子大生さん、
蛾蝶さんは、このけもの道から逃げずにむきあって
自分という世界へ飛んでいかれました。
これは、机上の空論ではなく、里の行、他人は関係ないタイプの
ある意味リア充、自己充足優先行為でもあります。
ああ長い・・
っていうか、まさにやりだしていることは
「座禅」とイコールです。
目は開けてますしね。
もうわたし、どうなるのかはわかりません。
でも、捨てていきます。
そして、流れ星に乗って、流れのままに生きていきます。
受動的な意味でなく。
自分以外の、誰かにはなりません。
自分最優先です。
わたしは、同じような自分最優先のひとに
否が応でもぶつかると思うので
その波に乗っていこうと思っています。
(老若男女問わず)
知らない世界を見ることが出来たら
また、宛メに小瓶を流しにきます。
じゃあね!
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
まりちゃんです)
冬さんは、いつでもお返事ください。
ひいきです。(わらう)
こんな小瓶、流していたのか・・
最近のことなのに、とても自分の中で
密で、遠い。
お返事、もちょっとしてから、ちゃんとしたのを書きます。
取り急ぎ、お礼まで。
ありがとう*うれしかったです。
冬
あれ?これはお返事書いてもいいやつだっけ??
わかんないけど。
ちょっと違うかも知らんが、私と言う存在はいないというのはどういうことなのかわからなくて知ろうとしてますが、どうも思考で捉えると分からない仕組みになってるみたい。
寂しさは確かに自分の中にあるのに、高僧はそりゃ、おめえさんじゃないよ、と言ってくる。
辛さも喜びもそうだとさ。ふーーん、悟るって、そゆこと??
悟れないもん、さあ。
焦ったりするもん、さあ。
いろんな体験するために、って命題があったとしてもさ、時にはめげるさね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。