″悪魔の証明″という言葉がある。
「悪魔の証明(あくまのしょうめい)とは、所有権帰属の証明の困難性を比喩的に表現した言葉である。等々」と、Wikipedia様には書かれているようですが、「○○が無いことを証明出来なければ、○○は有る」といった意味だと思われる。
「悪魔がいないという証明が出来なければ、悪魔はいる」
「ゲーム等で、バグ(不具合)が無いことを証明出来なければバグは有る」
ただ、″○○が有る″という証明は、ある一例を出すだけである意味事足りますが、″○○が無い″という証明は、後者の例でいうと、あらゆるタイミング、環境で実行してもバグが出ない事を証明しなければならず、とてもではないですがバグが無いことの証明はある意味不可能に近いでしょう。
ただ、無いことの証明が出来ないからといって、必ずしも有るとは言えないのも事実。
「箱を一切触らずに、揺らしたりすることもなく、中身が空っぽである証明が出来なければ中身は入っている」とは言えない。
この件で、多少意味は異なりますが似たような言葉があります。
″シュレーディンガーの猫″。
雑破に書くと「箱の中に、50%の確率で作動し、作動すれば死をもたらす装置と猫を入れ、一時間後に箱を開けた際に猫が生きているか死んでいるか」といった内容。
これも同様に箱を開けるまでは生きているか死んでいるかの証明は出来ず、猫は″生と死が混ざった状態″で存在し、箱を開けて初めて、生きている猫、死んでいる猫を確認することが出来る。
少し話を戻すと、「箱の中が空っぽである事を証明出来なければ中身は入っている」とは言えない状況は、″中身が有るのと無いのが混ざった状態″になります。
「宇宙人はいないと証明出来なければいる」とは言えず、全宇宙を調査するまでは″宇宙人がいるのといないのとが混ざった状態″。
また少し話を戻しますが、「痴漢をしていないという、あらゆる証明が出来ない限り痴漢をした」という訳の分からない事象が多々ありますが、世の中困ったものですね。
…うん。
別に知識披露したかった訳ではなく、痴漢の冤罪をくらった訳でもなく、そもそもが、私の考え方が間違っている可能性もありますし、「正しい」「正しくない」という判断が下るまでは、「間違っていると証明出来なければ正しい」、悪魔の証明。
それらが混ざった状態、まさに、シュレーディンガーの猫ですね。
まぁ、間違っているとしても、こういう、なんやかんやと考えることは結構好きです。
知ってる?
悪魔は、皆の心の中に潜んでるんだよ。