左目に違和感を感じる。
何かのアレルギーか、花粉なのか、わからないのだけれど、毎年この時期になる目の病気。
なにもしていなくても涙が出て、まぶたが重く開かない。痛いしかゆいしで日常生活をするのも憂鬱。それゆえ、長い時間ベットにごろん。
目を閉じて、考える。
あぁ、日常生活の大半を目に頼っているのだなぁと。
何気ない時間にできることをあげてみる。
テレビ、ゲーム、音楽、読書、勉強、絵を描くこと、楽器をひくこと、SNS…
音楽を楽しむこと以外なにか出来るだろうか。
これ以上思いつかない
普段の生活でしなければならないことをあげてみる。
洗濯、掃除、料理、…
ただでさえ上手くできないのに、目が見えないとなると物のありかさえわからない
あぁ、大事な月を目にうつすことが出来ないじゃないか。
それは本当に一大事だ。
私は、眼が見えないことが不幸だと、言いたいわけではない。
眼が見えないことがなかったので、私にはその辛さも思いもわからない。
ただ、私はこのように目が痛くなる時期に、いつも『目のありがたみ』を痛感するのである。
まばたき一つを、これほど意識するときはない。
それは私の思いに関わらず、一瞬でいつも行われているものだった。
気づくことのない、一瞬。
普段自分たちが『生きている』ということ。
『今日はなにもしていない』なんていったら、どれほど身体さんが文句をいってくるだろうか
想いを馳せるいい機会かもしれない。
目が痛いなら文章を打つなとお思いかもしれないが、やはり小瓶を流さずにはいられなかった。
目について考えたこの時の思いを、どうにかしてとっておきたかったのだ。
打ち終えました。目を瞑ります。
この文章を目でみて、受け取ってくれて有難う
ななしさん
がんばって書いてくれてありがとう。
おだいじにしてくださいね。
私は目を異常に使い過ぎて
目をつぶって休ませる以外の選択肢がなくなる時があります。
だからなんとなく、気持ちわかります。
それでも情報を欲してしまう時は
読み上げアプリや、オーディオブックみたいなものを使う。
そのまま眠ってしまうことが多く、睡眠でしっかり目を休められて良いです。
私も、月を見るの好きです。
見ると、ふーって力が抜けて
あたたかいエネルギーがもらえる。
不調って、体からの愛、って感じがする。
痛みや不調は
体の機能が、自分の体を守るために起こるもので。
…って、書きながら思いました。
ほんとうに
その体の部位が、いかに大切で、奇跡的で
ありがたいものなのか
気づかせてくれる機会ですね。
からださん、ありがとう。
すてきな小瓶を、ありがとう。