ふんわり、アバウトに、辛い、苦しい、と吐き出すと、励ましやお叱りや慰めのお返事が来るけれど、
具体的に現状を述べると、特に体質や障害や病気のような、考え方とか気の持ちようじゃどうにもならないようなことだと、誰も何も言ってくれない。ついつい長くなる私の書き方も悪いし、体のことなんて何も言いようが無いんだということも分かるけど。
それでも、マイページの「お返事0」を眺めながら、「あ、私、本当に救いようが無いんだな」と思わずにはいられない。
……宛メでまで構ってちゃんだなんて呆れるね。はぁ。さみしい人間だ。
今日も今日とて眠れやしない、春のあけぼの午前5時。無為な日重ねて二十歳も超えたし、貰ったお酒でもあけようか。飲んでも眠れはしないけど。
おはようございます、良い一日を。おやすみなさい。
落ち葉
48841通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
お返事0は、審査やタイムラグが発生
した場合などもあるので、
どうしようもないものです。
だからといって、返事もしようがない
時は、自分より苦しい人を励まされる
だろうかと既読者の方が力量を疑問視
して勇気が出させない時もあります。
無視したくて無視したのではなく、
中には力量不足を嘆きながらページを
とじていると思っていただけたら幸い
です。
あなたにも苦しくて辛いことは分かる
んですが、無視したいわけでもない
ので、どうか許してください。
ななしさん
確かに、お返事のしようがない時はあると思う。病気や障害の辛さは、体験したことがある人にしかわからないから。
少なくとも私は、自分が知らない痛みについては「きっと治るよ、大丈夫」なんて言えない。
「読んだよ」だけのお返事も、だから何?って自分で自分にツッコみたくなるから書けない。
自分なりに深く考えられなかったまま書くお返事は、とても軽薄で中身がないと思うから、私は自分が知らないことについての小瓶にはお返事をしないことにしている。
主さんは「何も言ってくれない」と悲しんでいるけど、だからって「何でもいい。悪口でも批判でもいいから何か言って!」というわけじゃないでしょう?
お返事を書く側の人は、小瓶を流した人を傷つけるつもりはない。優しさでも厳しさでも、小瓶主の心に寄り添うように書く。
だからどうやってもわからない、主の心に寄り添えないと思えば、お返事を断念することもあると思う。
お返事がつかなくても、それがただ無視をした人ばかりでないことだけはわかってあげて欲しい。あなたを救いようがない人だなんて思う人ばかりではないということも。
あなたの小瓶、私もどこかで拾ったかもしれないね。
何も言えなくてごめんなさい。
冬
落ち葉さん
確かに私のお返事の傾向にそれはあるかもしれません。
ついつい「解答」的なことを書こうとして、病気や障害について悩んでいる方には浅薄なことは書けないと自身を規制してしまっています。
もっと「気楽」に書いていいのかなと思った次第です。
おやすみなさい、そして、おはよう。
名前のない小瓶
私は
お返事0だとどきまぎして眠れなくなる…
重症かな?
小瓶を拾ってくれる人がいるだけでも
幸せって思うようにすると
よく眠れる気がする
病気とかそういう小瓶を流しても
的確じゃないお返事がくるときがある
でも仕方がないって思う
ここでどうにかなるようなことじゃないから
ななしさん
私もそんなもんです。
返事なんか来なくていい~ってフリしてますけど、来ないと寂しいですよね。
ななしさん
たぶん、具体的な言い方をした時に、なかなか返事がつかないのは、あなたのその具体的な境遇、苦しみをうまく消化できないから、別の言い方をすれば同情の表し方をわからないからだと思う。
宛名のないメールにいる人達、みんなとは言わないまでも、大部分は優しい。巷ではメンヘラと言って蔑まれるから言えない本心を出せるし、偽善者と言われることを恐れずに他人に同情できるからだと思う。だからこそこんな優しいコミュニティが、荒れやすいインターネット上に存在できるのだと思う。
話は変わるけれど、あなたは死にたい、と検索したことはありますか? たいてい、そういうふうに検索すると、「死んではいけません」系のサイトが六割に、「死にたいと相談されたときのハウツー」が四割くらいでヒットする。
「相談されたときのハウツー」でよく紹介されているのが、「動揺して叱りつけたりしてはいけません」みたいな、「同情の仕方指南」。あなたの優しさが相手を傷つけているかもしれない、みたいなこと。
死にたい、というのは貴方のいう「ふんわりアバウト」な苦しみの吐露に当てはまるかは微妙なところだけれど、少なくとも特定の疾患を原因とする「闘病」に比べれば、死にたいとか苦しいとか寂しいとか、そういう「感情」は多くの人が持ちうる事だと思う。
だから感情的な小瓶には返事はつけやすい。「多分こういう感情のときには、こう言われると慰めになるだろうな」というふうには考えやすい。このサイトを頻繁に訪れる人にとってはなおさらのこと、そういう感情に対しては理解がある。
でもそれが障害や病気とか、具体的な問題が書かれていたらどうか。感情移入と言ってしまうと軽く聞こえるかもしれないけれど、相手がどういう風に苦しいのか、分からない。苦しいことは分かるけれど、どういう慰めが必要とされているのかわからない。何が問題となっていて、どう考えているから苦しいのか、分からない。「自分の優しさが相手を傷つけてしまうかもしれない」と考えたら、早々気軽に返事はつけられない。
統計を取ったわけじゃないからわからないけれど、きっとこのサイトの訪れる人は、いじめでも失恋でもなんでも、何かしらあった人だと思う。他人と深くつながるためには、宛名のないメールは向いていない。みんながみんなそうじゃないとしても、自分の経験上、そういう人が多いんじゃないかと感じている。
頑張れ、と激励されたうつ病の人もいるかもしれない。学校に行けることは恵まれているんだ、と説教された不登校の人もいるかもしれない。死にたいと相談して、死んじゃダメだ自傷は禁止だ、と叱りつけられた人もいるかもしれない。
そういう人からしてみれば、同情の表し方は人一倍敏感になるだろう。自分の同情の仕方はこれで正しいのか、本気で考えながらPCのキーボードを叩いているだろう。
私自身そうだ。自分のアカウントは持っていても、返事した相手が私の小瓶を読んで、全然境遇が違うじゃないか、こいつは何もわかっていない、と言われるんじゃないかと、すごく怖い。
正直、この小瓶に返事をつけるのも、かなり気を使っているつもりだ。うまく説明できるか不安だし、ひょっとしたらうまく伝わらないかもしれない。貴方を傷つけてしまうかもしれない。あまり文章の能力に自信がないから、こんな長文になってしまって申し訳ない。
ただ、私自身、自分の問題を小瓶に流したりしているくせに、他人の具体的な問題に対しては、どうにも尻込みしてしまう。見なかったことにしてしまったことがあった。
みんながみんな私のように考えているわけではないと思う。でも、「なにもいいようがない体のこと」を、みんなが決して無視しているわけではないと、私は信じたい。名前も顔も知らない貴方のことを気遣うが故にPCを閉じた人も多いことを、貴方に知って欲しかった。
ななしさん
お返事こないと、寂しいです。
でも、お返事返せないことも私は多くて。
なんかね、気の利いたこととか言えないんです。
気休めの言葉すら上手く言葉に出来なくて、私の薄っぺらな言葉で余計に傷付けてしまうのではって何度も読み返して結局、送信しないで消してしまうお返事や小瓶のほうが多いんです。
現実でも宛メでも、
相手になんて言ったら悪い意味じゃなくて、自分の思ったことがそのまま伝わるだろうって思います。
お返事が来なくても、ちゃんと読んでくれてる人がいると思います。
救いようがないからお返事が来ないなんて思ったら、凄く寂しいです。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。