私の家は。根性論でやっていくような体育会系の考え方なのに
なぜ私はこんなにメンタルが弱いのだろう。
あんたなんか産まなきゃ良かった
私たちの恨みがあんたの腕の火傷跡
自分1人だけ幸せになろうとなんてするな
幸せになってもすぐ引きずり込んでやる
ずっとこびり付いてる4行。
私は生まれてこない方が良かった。
ずっと思ってきた。何回も言われなくても、そんなの自分で分かってた。
何で私は嫌われるのかと
何で家族が壊れてしまったのかと
何度も考える。
何度も何度も何度も何度も考える。
だけど、ようやく分かった。
私が壊してしまったのだと。
自分の大切なものを壊されたら、その人に対して怒りを覚える。
それと一緒で私は嫌われているのだと。
だけど、毎日答えを考える。
認めたくなくて。傷つく準備が出来てなくて受け止められなくて。
だから分からなかった振りをする。
私は、ゴミよりゴミだ。
ゴミよりも、ゴミになれている。
ただゴミ箱には入らない。
だから粗大ゴミだ。
リサイクルすら出来ない粗大ゴミ。
失敗ばかりの人生。
驚くくらい失敗ばかりだ。
小中高と、まともに行っていない。
成績が斜線だった事もある。
言われるがままに進んだ進路も上手くいかなかった。
何が上手くいかなかったか分からない。
ただ、やりたい事でもないのに上手くこなせてしまうのが嫌で、本当は嫌だったけど出来てしまうから何が辛いの?って思われてしまうのが苦しくて
だから辞めた。
そんなしょうもない理由で、辞めた。
学校に行けと怒鳴って殴られて、意地になって行かなかった。
急に優しくされて、何かあったの?どうしたの?と言われたけど、その頃には私に感情はなかった。
親の対応にも、家族の対応にも、何も思うことはなかった。
部屋で1人、隅に座っているだけの時間を何日も過ごした。
ご飯を食べなくても、水分を取らなくても、お風呂に入らなくても、寝なくても何も思わなかった。
倒れた。
楽しくも辛くもない毎日。
退屈すぎて、死んでいても変わらないと思った。
退学面談の日、久しぶりに外に出た。
久しぶりに親と喋った。
久しぶりの学校。
終わったら死ぬ気だった。希望はなかった。
意外だった。辞める?に頷いた時、親と担任が泣いた。
何が悲しいのか、何が苦しいのか、分からなかったけど、私も泣いた。
人間のクズだ。生まれてきたことは間違っていた。こんなに誰かを振り回して傷つけるなら、生まれなかった方が良かった。
何かをまともに辞めたことはそれが初めてだと、次に進む時は本当にビビる。
辞めるつもりで飛び込んだバイトは、ずっと続いている。
だけど私はまだ、迷っている。
どう生きて行けばいいのか私にはまだ分からない。
生きていていいのかすら分からない。
良いわけがない。だって私は粗大ゴミだ。
頑張ったところでクズでしかない粗大ゴミだ。
ゴミは無害だ。
だけど私は有害だ。
人に危害を加える。1人じゃ何も出来ない。
ゴミ以下の存在だ。
早く死んだほうがいいに決まってる。
だって私は家族を壊した。
みんなの幸せを、壊してしまったんだ。
家族が殴ってくるのも無理はない。
だから私は、生まれてこなかった方が良かった。
生きてこない方が良かった。
小学生の時に、イジメにあって、首を吊ったことがある。
中学生の時も、イジメで死にたくなって首を吊った。
高校の時は飛び降りようとして、ビビって出来なかった。
あの時に、失敗しても何十回でも吊り直せば良かったんだ。
あの時に、さっさと飛び降りれば良かったんだ。
死ぬなら早い方が良かったんだ。
なぜずっと昔から生まれてきたことは間違ってたと分かっていたのに、今まで無駄に生きてきたんだろう。
ごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
生きてきてごめんなさい。
本当にごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
リサイクルも出来ない、
存在そのものがゴミの私は
どうすれば良いですか
どう死ねばいいですか
死んだら許してくれますか
居なくなれますか
何も聞こえない所へ、
何も見えない所へ、行きたいです。
死ぬより苦しいくらい
苦しみながら死んでもいいから、
逃げることを許しては頂けませんか。
間違えているまま生きる事は
悲しいです。
名前のない小瓶
49934通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
名前のない小瓶
私も死にたいです。生まれなければ良かった。悩みたくない。不安を感じたくない。自分を殺したい。
烏羽
(※長いので気を付けて読んでくださいな)
今まであったであろう事から考えるに、人間不信になってしまったのも仕方がないと思う。
自分や誰かにラベルを貼って、自分の身を守ろうとする事もあれば、守る守らないに関わらず、嫌悪感などから心開けない時もあるだろう。
正直なところ俺は人間不信から抜けきれていない。
けど、それでもいいと思ってる。
殻にこもるに当たっても、俺自身、同じかどうかはわからないが、そういう経験があるように思うし、大分マシになったとはいえ、人間関係から遠ざかろうと思ったのか引きこもってもいる。
逃げるのも、自分を守ろうとする意味、今まで生きてこれたという点では、1つの強みではあると思う。
それは俺の見え方だから、違うと思うならそれでもいい。
けれど、人それぞれ色々な見方や、考え方、それぞれの時を生きる中での様々な今があるというのなら、逃げるために死のうとしてきたというのも、自分にとっての言い訳や答えのない事を考えるばかりで、疲れて、どうしようもなく消えてしまいそうになる事も、それも納得が行かずとも、生き方といえば1つの生き方ではあるだろう。
人と比べてまともだと思えなくても、それぞれ自分の生きて来た生き方というのはある。
俺自身も、今までの事を振り返っても、対して生きてきたと胸を張って言えるような事は…、ほんの少しはあるかもしれないが、今は思い付かない。
でもそれは、決して自分が生きてきた事への否定ではなく、誰かより基準が下だとか上だとかでもなく、自分の生きてきた道筋を振り返ってみれば、もっと何か、良い生き方があったんじゃないかと感じていたからではないか、と思った。
過去の記憶を消したいと思う気持ちはわからなくもない。
だけど、よく考えても見れば、その過去がなければ、作り直したい自分のイメージも湧き上がってはこなかったんじゃないだろうか。
人間不信に至るまでの嫌な人達や、振り返れば改善のしようがあったとも思われる自分自身。
それらの過去が全面的に素晴らしい事か?全て手放しに感謝できる事か?と問えば、それは難しいんじゃないかと思う。
苦しさを生きる証にしろという事を言いたいのではないよ。
けれど、生きた苦しさを活かそうと思えば、活かす事や、活きていたと思う事も出来るんじゃないかって事さ。
それはラベルを貼る事と同じ事なのかもしれないが、ラベルを貼る事自体は悪いもんでもなんでもない。
逃げる事自体もそうだ。
ラベルを貼って、殻にこもってしまった、逃げてしまった事でそんな自分が嫌になった、というのはあるかもしれないがね。
そのおかげで、逃げられる事で苦しみから距離を置き、回避し、自分を守り、その中で少しでも安らげる事もあったのかもしれない。
その結果、今日まで生き繋いでこれた部分もあるのかもしれない。
けれども、逃げ続ける事は並みの努力では出来ないし、逃げるためには人や自分に嘘を付かなければならない時もあるだろう。
嘘をつき続けるのもとても大変な事だ。
その上、自分が自分の足を使って逃げるという行いをする以上、自分自身から逃れる事は出来ない。
そして、そこから生まれる苦しみから逃れる事は、出来ない訳ではなくとも、とても難しい。
少なくとも、俺には難しかったし、逃げられない事もあるんだと思って、今ここにいる。
息をしている。
それは、小瓶主さんご自身が、意識として生きる事を許せずとも、身体は生きる事を受け止めている、という事かもしれない。
なら、今は無理に、自分自身に生きたいと思わせる事を強要する必要もないだろうさ。
生きたいと思えた時に、自然と思う。胸張って言える時、言いたくなった時に言う。俺はそれで十分だと思う。
強いて言うなら、未来の医療やらがどうなるかわからんが、死もまた逃れる事など出来ないのだから、自分自身で死へ向かおうとする必要もない。
死にたいと思った気持ちを否定するものでも、出来るものでもないがね。
思った事は思った。それは当然の事だし、それ自体にも良いも悪いもない。
時には自分の気持ちから離れる事ででも、自分を守ってきた事もあったのかもしれないが、離れる事はあっても、自分の気持ちから去る事は出来ないと思う。
苦しみや絶望もそうだ。楽しみや希望もそうだ。自分自身の一部だろうから。
贅沢なんてあるものか。
小瓶主さん自身がそう思ったのだから、誰かを害そうと思って働きかけるような、そんな迷惑でないのだろうし、誰かの許しを得る必要も、人目を気にする必要もない。
そうじゃないか?
主さんがもし、死にたくない気持ちを優先したい、生きたい気持ちを優先したいと思うのであれば、やめろとは言わないが、答えのない事を考えるのはあまり疲れない程度にしておくとか、疲れたかなと思えたら、考える事を切り上げたり、例えば好きな音楽でも本でも漫画でも動画でも運動でも外の景色でも、そういうのにある種、良い意味で逃げたりするのもいいかもしれない。
これなら自分を許せるかな?と思える性格を目指すとか、自分が苦しくなる程の否定や、責めすぎないようにしてみるとか、責めてしまったと感じたら謝ってみたり、上に書いたような事や、ご自身にとっていい意味での逃げ(慰めるというか、ホッと一息できる時間を作るというか)をしたりとか、個人的に良いんじゃないかと思う事なら思い付く。
嫌だとか、納得いかないとか、そういう思いの裏側に意外とどうしてみたかったのかが隠れている気がする。
気が向くのなら、消えたくなったその分、本当はどう生きたいのかを考えてみるのもありかもしれない。
その都度の消えたくなった思いをなくそうとする事は難しいかもしれないけど、離れる事と、薄めていく事は出来るかもしれないし、それによって自然と和らいでいくものもあるかもしれない。
詳しくはよくわからないが、医学的に疲れない程度に散歩するとか、外に出ないのであればラジオ体操的な事や、軽いストレッチをするなどの運動の他、主さんがどういう状態かも知らないけど、太陽の光を少しだけでも浴びると、精神的にもいいらしい。
(景色を見るなら自然と浴びれる事になると思う。動くなら、足を動かす事が特に大事なんだそうな)
全てを急に変える事は難しいだろうかと思うが、目指すのであれば、目指して動く事で、少しずつでも変わっていく事は出来ると思う。
生きているのは今のあなたで、誰かの差し出す手を取れるのもあなた自身があってこそ。
ややこしい言い方になるが、それだけは、どんな事から、例え逃げる事から逃げてでも、覚えておいて欲しいと思う。
逃げる事、助かる事が出来るのは、あなた自身がいる事と、ご自身の力もちゃんとあっての事なんだってね。
お節介かもしれんが、受け身になりすぎちゃわんように。
今の自分がダメダメだと思っても、どうかご自身の足で、今立っていられる力がある事を忘れないように。
許しても許さなくても、変わりたい、救われたい、そういう生きようと思える力がある事を忘れないように。
それと、なんとなく、過去があるから現在もあるとは言え、現在生きている事のそれ自体には、過去のあるなしは関係ないと思った。
だから何とかはなく、ただそれだけなんだけどね。
何はともあれ、死ぬまでのカウントダウンを伸ばす中で、今の自分だからこその目指したいと思える自分を、漠然とでも考えておけると、先のためにいいかもしれない。
ある程度でも変わりたいイメージがあった方が、具体的に行動できる事も思い付きやすいかと。
語彙力なんて気にすんなって。
俺なんてこの文章ででも、自分の書いた言葉の意味を辞書引きながら確認したりしてる。
そうやってビクビクしてでもやっとこさ、繰り返し積み重ねで語彙が確かなものになったり、自信が付いていったりもするんだろうから。
主さんだって、その時出来る範囲で書けることを書いているのだろうし、それでいいやろ。
案外そんな事ばかりかもしれん。
死にたい事も根はそうなんだろうが、今とこれからの事に重心を置いていていいんよ。
今のこれから出来る事は、ささいな1つの事でも、必ず何かあると思うから。
今の自分が走れる速さで、疲れたら休んだり水分補給したりしつつ、どうしたいのか、あるいはどうしたかったのか、変わりたい道へ走ってみるのも悪くないだろうさ。
自分を許そうが許すまいが、それ込みで今走れる速さなんだろうし。
…そういってる俺にもまだ、自分自身どうしたいのかはっきりとわかっていないがね。
その上で主さんにそういう事を言えるのが身の丈に合わない贅沢だってんなら、そういう贅沢も悪くないもんだ。
生きてきたと胸張って言えなくても、死にたくない、生きていたいと、それなりに背筋正して言うことぐらいは出来る筈だろう。
それを、死への気持ちを積もらせるように、逆に生へだって積み重ねていく事も出来るだろう。
…長くなり過ぎたのでそろそろ、そろそろと思いつつ、締めになるような言葉を探しまくってはいたんだが、探しまくる事で更に長い文章になってしまったというジレンマ。
俺は小学校の頃だったかに、20歳までには死ぬと思っていたんだがなあ、20歳なんて過ぎちまったわ(苦笑)
まあ、答えがないものを考えるなら、それはキリがないって事でもあるだろうから、繰り返すようにはなるが、時には自分で切り上げる事も大事だな。ってな事で。
答えのない中で、死にたい気持ちを目指して考えれば、それに応じた答えを見つけるだろうし、死にたくない、生きたい気持ちを目指すのなら、それもまた、それに応じた答えを見つけるだろう。
決意の終着点を決めるのは主さんご自身でもあるんだ。
それを忘れないでいてほしい。
ななしの
(小瓶主)
小瓶主です。
お返事ありがとうございます。
私なんかのために腹を立てて頂けたこと、嬉しく思います。
私の言葉をいい意味で否定されたことは初めてのこと。
本文にもあるように小中高とまともに学校に行ってなかったこともあり
語彙力がゼロに近いことをお許しください。
あなたの言葉に私は確実に救われました。
だけど疑問に思うことがあります。
強い。強いからこそ生きてこられた。
それは、きっと、、、。
一番認めてほしい人達に、否定をされ続けて生きてきました。
確かに正直苦しかった。
だけど私は生きてきたと胸を張って言えないです。
呼吸をしていれば生きてきたことになると言われればそれまでですが
私は強くも、まともに生きても、来ませんでした。
ではなぜ、今、呼吸をしているのかと言われれば
逃げてばかりだったからです。
何もかもから逃げてきました。
だから今こうして、死にたいという感情の壁から
逃げるために、死のうと考えているのです。
自分がゴミだから存在価値がないと、下手な言い訳までして。
そういった答えのないことばかり考え、疲れてしまい、消えてなくなりたくなってしまうのです。
何もかもを消してしまいたい。
そう人間不信というややこしいラベルを自分で貼って、殻にこもってしまうのです。
変わりたいです。
思考回路も性格も何もかもを、作り直したいです。
過去の記憶も消してしまいたい。
だけどそれを出来るわけもなく、死という道に走っていこうと日に日に強く固く決意してしまいます。
きっと、本当に、したいことではないと思いますが、、。
死にたくないのに自分が生きることを許してくれない
ここから誰かに助け出してほしいと
そう思ったまま死ぬのは、
最初から最後まで寂しすぎる気がして
最後くらいは何か、救われたいと
死ぬまでのカウントダウンを伸ばしてしまうのは見合わない贅沢でしょうか。
烏羽
根性論は、感情論に近い所があるように感じる。
元気であれば色々出来る事が多く見えるが、参っているとどうにも出来ない事が多く見えてくる。
人の何を知る訳でもないが、どうにも人の中で生きていると、人間という奴は都合の悪い事を誰かのせいにしたがる傾向を持つように思える。
自分自身が今までなんとはなしにやってきた事などが悪い結果を生んでいたのではないかと思えば、とても辛い思いもする事がある。
親と担任、そして自分自身の涙。
どのような思いがあったのかは想像するに余りあるが、果たして小瓶主さんが悪い事だけをしていたから流れた涙であったのだろうか。
家族の幸せを壊す。
もしかして、小瓶主さん自身もその家族の一員だったのではないのか。
あなたの幸せはどこへ行ってしまったのか。
あなたの幸せは壊れてしまったのだろうか。
俺が文面から勝手に思う所、小瓶主さんにこびりつく四行のその言葉からは、どうにも親御さんの抱いているかもしれない恐れを感じる。
自分自身が過ちを受け止める事で傷付く事を恐れ、また自分が誰かに利用され、出し抜かれるような事を恐れているように思える。
無理がないものか。
自分自身を律する事が出来ず、言葉で伝える事が上手くいかない故、自分自身の感情に身を任せ暴力に甘んじている。
親も虐めてきたであろう奴らも、立場の弱さに漬け込んで、暴力に甘え切って堕落しているように見える。
大切なものを壊していいという訳もないが、怒りを覚えたからといって、当然人に暴力を振るって良い理由になる訳がない。
…正直なところ俺はそいつらが腹ただしい。
その四行の言葉も、他人の俺から見れば単なる子供のような、感情的な暴論として読める。
こう書くととても悪い書き方ではあるのだろうが、まるで自分自身の背負った辛さから逃げたいが為、主さんをダシにしようとしているような。
とはいえ、親の言葉はとても響く。
子を持つ立場ではないが、自分も子であった故に、似たような事はあったかと思う。
それ故、例え切迫した何らかの事情があったにせよ、親子の関係上、親の立場として情けなく、虚しく思えてしまう。
振り回されてきたのは主さんで、振り回してきたのはそいつらだ。
あなたはゴミでも、ゴミ以下の存在でもないと思う。あなたが悪いのではなく、そんな奴らが悪いよ。
間違いというなら、俺はそれだと思う。
苦しい事が沢山あって、それに耐えてきて、それで人のせいにもせず、辛い中でも生きてきた主さんは、とても強かったんじゃないだろうか。
強かったからこそ、ここまで生きてこれたんじゃないだろうか。
元気があれば様々な事が出来るかもしれない。
だけど、疲れて苦しい時は、やはり疲れて苦しい。
弱ってしまうのも仕方がない事ではないだろうか。
きっと、生きている事自体に良いも悪いもないさ。
主さんが、誰かの意思に従うのではなく、ご自分の意思で真剣に考えた結果、死を選ぶというのなら、それはしょうがない。
俺がどう言おうと、主さん自身にも意思があるからな。
だけど、生きている自分を、どうかご自身で否定しないであげてはくれないだろうか。
ここまで生きてこられたであろう主さんが、死ぬための理由を作っているように感じてしまって、所詮他人と言われればそれまでではあるが、とても辛い。
せめてもの事、弱っているご自身に少しでも優しくしてあげては頂けないだろうか。
所詮画面越しの俺には、主さんの現実をどうこう変える事は出来ないが、どうか少しでも好転と、心から休まれる時間とを願いたい。
壊れる事があっても、見えなくなる事があっても、幸せは1つだけではない筈だ。
人が生きる中で、上手くいかない事、道義に反する事はあるけれど、主さんが間違った生き方をしているとは思えない。
答案用紙のような、満点の正しい答えがあるとも思えない。
誰かの出した答えに沿う事が間違っていない生き方かと言えばそうかもしれない。
だけど、その答えに沿わない生き方が間違っていない生き方かどうかを問えば、それも間違っていないかもしれないと思う。
相手だけじゃない。自分自身も存在しているから。
主さんにとって、とても苦しい事を言ってしまうのかもしれない。
だけど、もしかすると主さん自身がまだ死にたくない、生きて何か、上手くしたい事があるから、何か出来るんじゃないかという気持ちがどこかにあって、迷っているのではないかと思う。
人は失敗もするが、進歩も成長もする。
何で何でと、それらを何故考えたのか。
何で嫌われたのか、何で壊してしまったのか、それらをどうして考える事になったのだろうか。
認めたくない、受け止めたくない。
本当はそれと同じように、心で嫌われたくなかった。壊したくなんてなかった。
もしかすると、何か、やってみたかった事や、そういった悲しくてどうしようもなかった気持ちがあったんじゃないのか?
真実がどうかはわからないが、気が許すのであれば、どうか、何がしたかったのか、何をしたいのか、もう一度考えては見るのはどうだろうか。
もしかすると、生きていて死ぬ事よりも苦しい事が待っている場合もあるかもしれない。
安易に希望的な事は言えないが、例え苦しいとしても、それでも死ぬ以外に出来る事はあるんじゃないだろうか。
逃げてもいい。だけど、もし逃げが死ぬ事だというのなら、具体的な方法はよくわからないが、まだ死ぬ以外の逃げる方法もあるんじゃないだろうか。
俺も、立場や状況は違うだろうし、恐らく比較的に主さんより状況の程度が軽いかもしれないとはいえ、死にたい思いを抱えて生きてきた。
いじめられたり、いじめたりもした。人間関係が嫌になって、自殺も未遂に終わった。
死にたいその気持ちが、本の少しでもわかる気がして、死ぬなとは言えない。苦しんで生きろとも言いたくない。
だけど正直、死んで欲しくもない。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。