人から見た自分のイメージを壊すのが怖くて仕方がない。
いつもニコニコしてて癒される~と言われるのは、嬉しいというよりも強制に聞こえてしまう。
ニコニコしていない私には価値がないのではと思ってしまう。
いちごが好きそうと言われれば、いちごとチョコのお菓子がある時、チョコを選ぶのは裏切り行為をしているような気がしてしまう。
「〇〇そう」「〇〇っぽい」
私はいつもそれに縛られている。
思い返せば小学生の時からそうだった。
表には出さずとも、基本的に人といることを嫌うような子だった。
ニコニコして、たまに天然なことを行って空気を和ませて、誰より先回りして気を利かせて、そうしていなきゃそこにいることを許されないような気がした。
本当は楽しくもないし、天然ではないし、ほしいものがあるなら自分で取りに行けと思っているくせに。
だけどそうしていれば可愛いね、面白いね、優しいねって、そこでやっと認めてもらえることを知っているから、もう無意識のうちに自分ではない誰かを演じるようになってしまった。
100点を取れたという結果を褒められているのではなく、100点を取るために努力した過程を褒められているのだと、そう解釈してさえいればもう少し楽に生きられたのかな。
私の人生って一体何のためにあるのだろう。
期待を背負ってそれを消化することにいっぱいいっぱいで、自分の意思がどこにあるのかも見失った。