まるでそうしなければいけない理由があるかのように、定期的に自責の時間がやってくる。
理由があって自分を責めるのではなく、自分を責めるために理由を探し始める。
完璧な人間なんていない。特に自分自身を他の誰よりもよく知っている自分が粗探しを始めたのならば、もう後は叱責が飛んでくるのを待つ以外に方法がない。
何故こんな事になっているのかは自分にもわからない。
いつからこうなったのかもわからない。
普通に生きていると、唐突に頭がグワァっとなって目をパチパチせずにはいられなくなり、自責の時間がくる。
過去から現在まで、犯した失敗を一つ残らず並べられて一つ一つに意見を求められる。
確かに、これに救われた事が多々あるのは事実。失敗から目を背ける事ができないから、どうにかしようとしてそこから学んだ事も多く、実際に回避した失敗も多い。
ただ、これが頻繁に長時間続くとさすがに精神が磨耗してやつれてくる。
過去は変えられない。適度な反省は学習の機会になるけど、過ぎた自責は何も生まない。
どうにかして自分に分かって欲しい。これ以上過去をひっくり返して粗探しをしたところで何も見つかりはしない。
今は別のところから何かを見つけなければいけない。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
いま休憩して何も探さず、粗探しもしないでもいいのでは?
何もしない時期も時には必要。
その余裕があれば何もしない時期作ってみては?
お気持ち想像できます。
過去の過ちをまるで今ぜんぶやらかしたみたいに端からどんどん思い出していく時間。
記憶というものはとても主観的なものなんだと思います。
もし主さんが望まれるのであれば、カウンセリングでトラウマ治療をしてもらうという手もあります。
(思い出して辛くなることもあるから自力でやろうとしない方が絶対にいい)
離れるためには客観的視点が必要で、それは自分ひとりでもがいて手に入れるのは難しい気がします。
過ぎた自責は何も生まない。
まさにその通りだと思います。
これが頭での理解じゃなくて体ごと実感できるようになるといいですね。主さんも、私も。
ゆるゆる、いきましょう。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項