モノが壊れるっていろいろ不便やね。
夜中に数回エアコン本体が今までみたいにリモコンに反応しなくて凄く焦って慌ててしまった。
サイトで故障や不具合原因を調べてみたりしてもイマイチわからなくて。
メーカーは土日休みやもんね、しかもゴールデンウイークやし、こんな時ばっかり不具合問題あるあるやねんわ。
とりあえず動いてくれて部屋の外との温度差もかなりあるし、温度計も2℃は上がってるから今はなんとか助かっているんやけど、“ 物が壊れるの不自由やで嫌やわ ”。
確かに不便やけと故障しても前はそんなに今みたいな、ちょっと表現し辛い不安になってしまうのってあんまりなかったんやけど、フッと以前私に暴力を加えながら放った旦那やったヤツが言葉がウワワ〜ンと全身に直撃して来た。
言い合いになって私に対して怒っりながら物にアタリ散らしていて「壊れるからやめて」って言ったら、物を置いて今度は私に手を出して胸ぐらを掴んで揺すりながら床に叩きつけて放った言葉。
「わかったわ、物は壊したら高ぅつくさかい、お前やったら放っといたら治るしな」
この言葉、身体のアザや痛みが癒えた後20年以上経ってるのに、心の痛みはあの時よりも酷い後遺症となって残っている。
私は叩きつけられ、蹴られながら、「病院代かかるし不自由するからやめて」と抵抗して更に言われた言葉。
「これ(物)のほうが修理代高いし、使われへん間しよっぽど不自由で嫌やわ」
私はモノ以下。
“ 物が壊れるのは不自由で嫌 ”って普通に考える気分だと思うけれど、あの時の暴力と私はモノ以下扱いと思われてるんだと知った衝撃は相当な震度で私を壊した。
私が選んで一緒に居た人、何より誰かよりも大切に思っていた人だった。
その人の何を見てきたんだろうと自身の選択に対する自信もガラガラ崩壊した。
物の代わりはあっても人の代わりはない。
って思ってきたけれど、そう考えないっていうのってあるんだ。
【人も消耗品】って考え。
…なるほどね。
今の私ならなんかそう言い放った元旦那のココロの闇がなんか…わかる。
10年間一緒に生活してきて知らない間にその考え寄りに汚染されてしまったのもあるし。
今、誰とも人と付き合いしていなくて不自由どころか煩わしい事も極力無くて自由でホッとしているし。
犯罪にもなる人の身体に傷をつけて加害者と被害者という関係になって絶縁とかとはまた違うけれど。
今は普通に人間関係が壊れるよりも物が壊れるほうがキツイって思う。
あの時のショックを思い出したくなくて今だに私の壊れた気持ちの欠片すら集められないでいる。
その思い出したくない事をモノの不具合や故障がある度に、凄く不安な上に重ねてたまらなく嫌な気分が乗っかってくるんだから。
今更元旦那のココロの闇なんかどうでもいいねんけど、あの時もそれ以外にも数々の私に与えた闇はまだ全然癒えていない。
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