幸せになることに罪悪感を感じます。
世界には、私なんかより苦しくて、つらくて、それでも頑張って生きている人がいるというのに。
その人たちの苦しみを1%も理解できないまま、能天気に暮らして、のほほんと幸せになって。
そんな理不尽、不平等…ありえないです。
私なんかより、そういう人たちのほうが幸せになるべきなのに。
(「幸せになるべき」と言っている時点で、「その人たちは幸せではない」と見下しているみたいですね。すみません。そんなつもりはありません。)
だから、自分は幸せにはなってはいけないと思います。
幸せになることが申し訳なくて、後ろめたくて。
自分なんか幸せじゃなくていいから、「自分は不幸だ」と泣いている人に少しでも幸せになってほしい。
自分が犠牲になることで少しでも救われる人がいるのなら、その人たちの涙を止めることができるのならば。
そんなの、無理ですけど。
偽善みたいだって不快に思われたらすみません。ごめんなさい。また、人を不幸にしてしまいました。
ななしさん
偽善とも違うような気がしますけど、その罪悪感って、一体どこから来るのでしょうね?
「幸せ」って、人と比べられることと、そうじゃないこともありますし。
泣いてる誰かを慰めることは、悪くないと思います。
それは、あなたが犠牲にならなくても、できることですし。
…あなたのお母さんって、どんな方ですか?
あなたが幸せでいることに罪悪感を抱かせるような、でも言葉にはしにくいオーラを放ちながらあなたを育てた、ということはありませんか?
お母さんに限らず、身近な人が何かあなたに「償いをしなくちゃ」という感覚を植え付けたのかもしれません。
だけど、あなたの幸せと他の人の不幸は、還元したり交換したりできる性質のものではありません。
むしろ、あなたが基本的に幸せでいないと、不幸な人の苦痛を減らすのは難しいんですよ。
本当に究極の状態、例えば嵐の海で船が難破して、1人しかつかまれない板切れが、あなたと他の誰かの間にある、なんていう状態に限定すれば、自己犠牲の話も成り立ち得ますけど。
普通に生きて行くのなら、何とかお互いに生きる道を探しましょう、それぞれに幸せになりましょう、というのがいいと思います。
その時々で、余力のある方が、何か手伝えればいいのですし。
そもそも、あなたは幸せだとしてもそれををちゃんと味わえていらっしゃらないようですし、それよりもしかして、すごい苦痛を一生懸命閉じ込めて生きていらっしゃるのではないかな、という気がします。
もしそうなら、あなたの苦痛にもまずちゃんと手当てがされるべきですよ。
他の誰かの苦痛に思いを馳せるのは、もちろん悪いことではないですけど、それと自分の苦痛を放置してないものとして扱うのは、全く違う話ですから。
あなたも、他の苦しんでいる人も、みんな幸せになっていいし、同じ地獄に落ちなければそこにいる人を救えない訳でもありません。
ただ友達になるだけでいいことだって、ありますよ。
お互いに本音で話し、相手を思いやれるのなら。