生きると死ぬとかってそんな大事なことなのかなーてなんとなく思うんですよね。
だって私って突然この世に生まれてきたわけじゃないじゃないですか。
もともと両親の精子と卵子が合体してそれが私の素になったわけで。
精子と卵子も無からポンて現れたんじゃなくてもと体の一部だったんだろうし。
で全身の細胞って7年ぐらいで入れ替わるらしいんですよ。
てことはハイハイしてたころの自分と今の自分って全然物質的には別の存在てことになる。
こうして文章打ってる間にも僕の体一部は生まれ死んでいってるわけで。
だからまあ別に私って100パーセント生きてるわけじゃなくて生きてる状態と死んでる状態が重なった感じで存在してるんじゃねーかな
と思ったりするわけです。
そんで死んだ体の一部ってそのあとどうなるんかなーって考えると、これもポンて消えて無にはならない。
その辺の石ころになってるかもしれないし、土にうずまってるかもしれないし、どっかの海を泳ぐ魚の一部になってるかもしれないわけです。
でそいつらも未来永劫石のままだったり魚のままだったりするわけじゃなくて、わかんないけど別の生き物とかそうじゃないものの一部になるんでしょう。
ほんで精子と卵子の話に戻ると、これもさかのぼりさかのぼれば元は別の命の一部だったわけじゃないですか。
そろそろまとめると、私は元々あった他の命の集合体として生まれて、で死んだらまた他の命の一部に還っていくと思うんですよ。
てなわけで私の命は生まれる前も死んだ後も続くんで、自分の生死ってそんな重要な感じがしなくて。
まあでも数万年は生き死に繰り返すかと思うと私が私でいられる時間ってほんと短いんで、楽しく幸せに生きられたらいいなーと。
そんな感じです。はい。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。』【方丈記】
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ななしさん
お返事ありがとうございます!
そうですね。あるものは他のものの集合体って考えを突き詰めていくとそうなるんですよね。
仏教的には無自性空、もしくは縁起ってやつですね。
(本文ではさすがに最初からそれ書くとぶっ飛びすぎてるんでぼやかしてますが)
神秘的な要素抜きで哲学な視点から仏教思想触れてみるとなかなか面白いですよー
ななしさん
極論、人間も動植物も無生物も、この宇宙全てが素粒子の集合離散。
過去も現在も未来も変わらず。
色即是空、空即是色ってそういうことなのかな?なんて。
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