私は自分がずるい人間だと思う。変わりたいです。
怖いけど自分のこと話します。
私は小学生の頃、わがままで自分勝手な所をさらけ出していました。そのせいか6年生になってから卒業までの一年間、差別を受けました。
私は人が怖くなり、中学生になるとかなり臆病で根暗な性格になりました。なるべく人と関わりたくなく、友達だった子には冷たくして、粗末にしていました。
そんな自分が嫌で、2年生まで登校拒否をしました。
3年生に上がり、今までの自分とサヨナラしたくて、ちゃんと登校して自分から人に話しかけてなるべく積極的に人と接するようになりました。
そして徐々に周りに打ち溶けるようになった私はそのまま高校に入りました。親友もでき、四苦八苦しながらも無事に卒業し、就職しました。
しかし、いじめを受け数年で退社。
今、また人と接することが怖いです。
高校からこれまでは、人前では本来の性格を隠し穏やかな面だけを見せ人と接してきました。
後輩にすらなめられるくらい人には優しく接してきました。小・中学生の私にサヨナラしたつもりでした。
ですが、違うような気がします。
私はわがままで臆病な性格は治っていません。
言葉使いが荒く、わがまま、完璧主義、臆病、癇癪持ち、騒がしいくらい明るい、ギャグっぽい(自分の可笑しな言動で人を笑わせる)というのが私の本来の性格です。
ですが人前ではそれをすべて隠し、「いい子」を演じていました。
これは常識的なことですが、年上には普段から敬語を、立場関係なく礼儀はわきまえたり、相手の立場になって事を考えたりなどは昔からの性格でした。
それでも人前での穏やかな私と家での私の性格が全然違う、と感じるようになってからは、自分が気持ち悪く、ずるい人間と想うようにになりました。
人に自分の本来の性格がバレるのが嫌なんです。バレてドン引きされ軽蔑されるのが嫌です。
多分、過去に受けたいじめや差別のトラウマで「人に嫌われたくない」「いい子でいたい」という思いが強く出ているのだと思います。
どうにかしたいです。わがままを言えるようになりたい、というわけではなく、本来は「ギャグっぽい」性格だと思うのですが、それまでもを隠して生きているのがつらいです。
自分の性格ってどうしたら治せますか…?また、本来の性格をさらけ出すにどうすれはいいのでしょうか。
上のふたつを乗り越えた方いらっしゃいますか?
名前のない小瓶
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名前のない小瓶
こんにちは。
質問者さんのこの記事はいつのかはわかりませんが、まるで自分のことを書かれているのではないかと思うほど、とても共感し、コメントしました。
ひとつひとつのことがすべてわたしとあてはまっています。
わたしも本来はとてもわがままでずる賢く、ギャグっぽいというところまでまるで一緒です。
ですが、いじめにあったことがきっかけで自信をなくしました。自分が嫌いで、自分を卑下し、自分が傷つかなくていいように周りと深くかかわらないように距離をとって、いい子を演じる大人になりました。
なので、痛いほどに質問者さんのお気持ちがわかります。
わたしは、一番に、ずるい自分が嫌いで、そんな自分が受け入れられない状態です。
ですが、これまでの人生を振り返ると、わたしは根っからの末っ子気質で、わがままのずるい人です。両親を平気でだましておもちゃを手に入れたり、姉たちをみていて、こうしたら怒られるから、ここの道は通らないようにと両親からの目をくぐり抜けたり。自分がわがままなので、そんなわがままをきいてくれる優しい優しい人とだけ友達になったり。思い出せば思い出すほど、つくづくずるいやつだな、お前、と自分であることから逃げ出したくてしょうがないです。
そこでこちらの記事にたどり着いたのですが、どうやらこれは、ずるい自分をなおすのではなく、受け入れることしか方法はないように思えました。
質問者さんも私と同じように自分が受け入れられないのだと思います。今とても、質問者さんとひたすらお話しして共感したい気持ちでいっぱいです。(笑)
自分がだせないという問題も同じく、ずーーっと直面しているのですが、これも開き直ること。
要するに、自分をだして嫌われてもいいや、嫌われたら嫌われたで、うそ偽りの自分の人生を生きるよりは、思いっきり自分を出して、嫌われたほうがまし、と思うことのようです。
わたしも、こういっておきながら、まっっったくできていないのですが、お互いに頑張りましょうという気持ちでコメントしました。
わたしは、この記事にたどり着いて、同じように悩んでいる人がいるんだと思っただけで、とても救われました。
質問者さんもそう思ってもらえたらうれしいです。
なにも回答になっていませんが、お互いにがんばって生きていきまししょうね。
ななしさん
僕がコメントするには自分が痛いけれど、気になったので。
わがままなのは自尊心の表れで悪くないと思いますよ。
もしかしたら作った自分の仮面が痛く見えてしまったのかもしれません。
不愉快になったらごめんなさいね。
ななしさん
そんなの勇気だけですよ。
ななしさん
自分の性格というものは、すぐに治せるものではないと思う。あなたはこの人生であなたの身を選びこの世で生きている。生きている限り、いつかは苦しみを受ける。そして、苦しんでもがいてあなたはあなた自身で生きていく折り合いをつけていくのだと思う。理想を追いかけている限り、現実は見えない。自分を知らずしてうまく生きていくことはできない。
生きていくのは重荷を背負って歩いていくようなものだと昔の人は言っている。あなたは自分を偽るつらさを知ったと思う。自分はこうあるべきだとか考えている限り、苦しみは続くと思う。あなたが成長して自分と向き合えるときまでは、苦しむと思う。色々あってはじめて、苦しんだ自分を受け入れることが出来るのだと思う。そしてはじめて、今この自分で、自分をなんとかするために一つ一つ努力を積み重ねていくことが出来るのだと思う。
心の傷は、なかなか癒えないと思う。自分が自分に優しくするのは、口で言う程簡単なことではない。ただ、今まで頑張ってきた自分をほめることは出来る。自分を偽ってきて一番苦しんできたのは、外でもない自分だと思う。そんな自分をいたわることも大事だと思う。自分をなんとか出来るのは自分しかいない。他の人はそれぞれの視点や立場から色々言えるが、自分のことをいつも考えて自分のためにやることが出来るのは自分しかいない。
人との関わり方というよりは自分との関わり方だと思う。
あなたも、重いものを背負っているのだと思う。ただそれも、あなたが背負おうと思ったものなのだと思う。生きていくのはつらく苦しいことだ。そんな中で一息つく。それが楽園に思えたりする。人はそれぞれ自分に応じた荷物を背負う。マルクス・アウレリウスの『自省録』とか、読んでみるのもいいと思う。『菜根譚』はちょっと年寄り臭いかも知れないが、辿り着く境地としてはいいと思う。ある人はこの世は修行の場だと言っている。それが正しいかどうかというよりは、それも一つの見方だと思う。人はそれほど優しくはない。だからこそ苦しみ、優しさを求めるのだと思う。苦しみの中でもがき苦しみ、その中で人間が磨かれ、人として成長していく。どのような苦しみであれ、苦しみは若いときにしておいた方がいい。年を取ってからの苦しみは身にこたえる。苦しんで苦しんではじめて、それが自分の身に刻まれ、自分の生きる糧になっていく。何かにしがみついてでも、生きている方がいい。老いを感じるとき、死というものが現実のものとして見えてくる。そして生きていることの素晴らしさに気付く。
関係ないことだが、神仏に対する畏れを失ってはいけない。自然が人間社会に及ぼすことを見ていれば分かるはずだ。
自分は老いて、こうして励ましを書くことしかできない。余り役には立たなかったかも知れないが、この辺で書くのを止める。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。