名前のない小瓶
自分で決めて、自分で動くということを
それまで生きて来た時間の中で
あんまりやってこなかったり、
中には、やろうとする、自然な欲求を
表に出すと、押さえつける身近なひとがいる
環境に暮らす人もいる。
もし、こどもの頃からそうなのだとしたら、
その人にとっての「普通」という基準は
そこになってしまうから、
お伺い立てるのが「普通」。
他人の顔色見て、自分自身のことを決めるのが「普通」。
違和感感じても、感じないことにすることが
「安泰」。
それを棚に上げて、
自分の不幸は、全部まわりのせいだ、と言ったり、
逆に、全部自分のせいだと自虐に走ったり、
(これは表裏一体だから、根っこは同じだと思う)
いろいろおりますがな。
と、踏まえた上で、
小瓶主さんの小瓶を読むわたし。
「はい、その通りだと思います」
(小瓶主さんは、恐らくそこまでなんも
考えてない気もするけど・・)バカにしてるんじゃなくて。
これも、慣れなので(自分のことは自分で決める)
小さいことからこつこつと。
まずは、ファミレスで、ホントに食べたいものを
声に出してみましょう。
(要求が通るかどうか?は、別問題だけど)
相手に気を使って、時に、自分にまで気を使って
下から2番目に安いもの、ばっかり頼むのは
オレはもう、飽き飽きだぜ!
(そんな人生)
おわり。