絶対に揺らがない存在価値が欲しい。安心して生きられるようになりたい。
でも他の人との出会いも、親との出会いも丁寧に考えてみると必然ではない。だから彼らから存在価値があると言われても、信じることが出来ない。
彼らと出会わなかった世界を想像して、それでも楽しそうにしている相手を想像してつらくなる。自分との出会いも必然ではないから、価値を感じることができない。
必然にしか価値がないと思ってしまう。出会う以前の出会いたいという意思が無ければ、もうその関係に価値はないと思ってしまう。
出会わなければ存在すら知ることは出来ないから、出会う前に出会いたいと思うことは不可能だし、出会ったあとにしか価値がついて来ないのは当たり前のことなのに、偶然の不確かさを愛することがどうしてもできない。
出会っても出会わなくてもいいということは、愛しても愛さなくてもいいということと同義だ。
出会わなければ愛せないのだから。
だから、私は誰にどう言われても自分に存在価値を感じることが全くできない。
偶然性に価値を見出すにはどうすれば良いのか。
少し前にも似たような小瓶流しています。すみません。ただただ苦しい。
ななしさん
あーそうですよね、分かります。
わたしもそう思っていました。
仲の良い友達や、好きになった人だって偶然出会ったからなんだよなーと思う。
友達のことは特別モヤっとはあまりしないけど、例えば彼氏が出来たとして、その彼氏と恋愛関係になったのはただの偶然で、これって私は彼氏に仮に愛されていても、別に私じゃなくても彼氏は他の女性と上手くいくことだって出来るんだろうなぁと思ってしまうのと一緒ですよね。
そう思うと、なんだか別に私はこの人と一緒にいなくてもいいんじゃない?と思ってしまうな。偶然出会って、偶然恋愛関係になっただけでそれって運だし、なら他に運なんか沢山あるんじゃない?って感じてしまう。
必然ならきっとお互いに無意識にでも、全く違う場所で出会ったりするだろうし、なんかもっと違う何かを感じるはずなんだよね。
でもそれが無いってことは、やっぱりただの偶然によってただたまたま引き寄せられたってだけだからなー、と思う。
考えたら疲れるから最近はあまり考えないようにしている。
でも絶対的な自分の存在価値って、簡単に推し量れるものでもないような気もします。
彼氏がいても存在価値を感じれるかと言われたら私はあまり感じられなかった。それはもしかしたら、貴方のように偶然性に意味を見出せなかったからかもしれません。
それと彼氏のことで、彼と一緒にいた時も、やはり私じゃなくても彼はそれなりに笑って過ごせる人なんだろうなと内心思っていたからです。
私じゃなくてもいいだろう、という気持ちがあったからでしょうね。
あまり価値ばかり考えすぎても価値云々の前に人と深い関係が築けないなと思いました。
だけど、人と深い仲になるのは私には向かなかったような気がしました。