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小瓶主さんからのお返事が来た小瓶

一樹

163905通目の小瓶

これはやっぱり無理かもしれませんね。母親との別れからまだ100日程ですが、仕事が終わった時やふとした気が緩んだ時、母親との思い出が湧き上がってきます。

小瓶の中の手紙を読む

小瓶主さんからのお返事

ご返信ありがとうございます。
貴方も辛い事だったと
文面からよく伝わってきます。
私も、もうこの世に
お母さんがいないこの世に
生きる意味が見つけられません。
何かを食べたりしても
横で、うん
これは美味しいなぁって
一緒に感じていた
同じように
私の言う事を信じて
私の為に色々考えてくれた
いつも味方だった
大切なお母さん。涙
少し寒くなると
風呂場で服を脱いだら
寒いから
ニクロム線のあれを出してくれ

今時ニクロム線とか
いう人おらんでといったら
恥ずかしそうに笑っていた
一コマ
もう、山のように何コマも
あります。
どんなに無念だったか
悔しくて悲しくて
こんな事でお母さんと
お別れになった私は
そっと我が身朽ち果てるのを
待つだけです。
その同じ場になれた時
私も救われるのだと思っています。
この先どんな良いこと
悪い事があろうとも取るに足らない
些細なことです。
最初は確かに私が水を飲ませた事が
悪いと本気で追って死ぬ覚悟で
いろいろかって今でも部屋にありますが
よく良く考えると
そもそもそんな状態で退院させた
病院で長年お母さんをみてきた先生が
何であんな所で退院させたのか
そんな状態の病人を素人に
全く意識がないなら
その説明の一つもなしに
退院させたのか!
私がどうこう言うより
そこが全ての原因の発端だと思いました。
それは、後から先生との話し合いで
先生が私の見立て間違いでした
夕方には目を覚ますと思っていましたので
説明ができませんでしたと
謝罪されましたが
見立て違いというよりも
その退院時の患者の状態
患者が意識がないなら
迎えにきた私に
この状態での退院するにあたぅての
注意事項の説明をする義務が
あるのです。
見立てどうこう話しの筋から
先生は間違っていたんです。
その先生も普段は
良く患者の為に色々と説明するので
評判がいい先生でお母さんも
そんな先生を頼りに他の大きな病院に
行かずに私立の主治医の病院にいった
事が命運を分けたのだと思います。
この入院する時の母親のラインで
いつもの病院に行くか
大きな時々行っていた大きな専門の病院に行くか迷っているとありましたが
あそこで大きな病院を
選んでいたらあんなお粗末な
退院をする事もまた、病院も
させる事はなかった事と思います。
お母さんにも運が悪かった
いつもの先生も
私が思うにやはり
退院される時の説明が
不自然な感じでとにかく退院する事を
前提とした説明しかしておらず
非常に残念、あの先生も
わかっているはずです。
こうなってしまった以上
私は一生その先生は許せない。
自分があの世からいなくなるか
先生がいなくなってもお母さんは
戻ってこられない。
結果としてもう
なるようにしかならない
それしかないんだと思っています。
先生といえどもミスはあるでしょう
人間ですから、しかし
あのミスはありえない。
まだ2年もきていませんが
この先考えも変わることはないと思いますが
人は必ずいつかこの世からいなくなる事だけは決まっていますのでそれだけが救いです。
貴方も貴方なりに生き方を見つけて
強く生きて下さい。
どんな人であっても
貴方が一番理解した
愛の想いはその祖父にも届いているはずです。
僕ね、あれは25歳の頃に
借家住まいだった頃
近所の80歳くらいの
一回も話した事もない
おばあさんに私が洗車していると
まぁ、綺麗にされとるんですね
と声をかけられて
その頃若かった私は
あ、はい、とうなずくだけで
何もきのきくあいさつもできませんでした。
ある時
母親からそのおばあちゃんが
亡くなった事を聞いて
あの時もっとまともなあいさつも
できなかった自分を悔やみました。
高年齢でやっと声をかけてくれたのに
たいした言葉も返さずうなずいた
私をどう思った事か。
自分がその立場なら
どう思うかを思う時
赤の他人であっても良いと思う事は
だれがどう思っても助けてあげられる人に
なろうと思うようになり
その頃から母親の病気にも感心をもつようになりました。
喘息のくせにタバコは辞めずに
今の自分の年の頃から母親は喘息を患って
オマケに69歳までタバコをすって
喘息と肺気腫で何とか楽に
なれんかとバイオ製剤など
やってきましたので
母親も私からすれば
自分をもっと労わって
お母さんが50の頃から
何度も何度もタバコを吸って
病院いって薬をもらっても
治るかと喧嘩したものです。
当然治療費も入院費用もそれに
かけていた医療保険も私が払い続けました。
だから、今思えば
長生きをしたくて生きた生き方では
なかった、好きなことパチンコも
酸素療法になって自分で車の運転も
できなくなったら
YouTubeで中村珠緒のパチンコする動画をみてこれが楽しいんだといってみてました。
ですから、最後方でしたが
確かに母親の人生の時間はまだありましたが
息子の私からみて97%は生きたいように
生きれたのかと思ったら
確かにその事故は悔しいし
物凄く悲しくて辛い事ですが
もう、私の人生でこれ以上悲しい事も
ないし、あとは自分が好きなように
やればいずれその日がくる。
母親も私を生むまでの時間
私は存在していなかった訳ですので
その
タイムラグを待ってると思えば
それが自然の成り行きなのだろうと
思うようにしています。
話しがかなり脱線しましたが
それが私の今の想いです。
お返事ありがとうございました。
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