福祉に関する仕事ということもあってか、「問題行動の根底には理由がある」「困った人は困っている人」「表出する感情や行動は氷山の一角でしかなく、見えない部分(心の底にある感情、生まれ育った環境や歴史)が重要だ」という言葉はよく聞きます。とても大切なことです。表出した行動だけ見て一方的に怒ったりされるのは誰しも気分はよくないですから。
しかし、その言葉を振りかざしてなんでも受け入れろみたいな言われ方をされるのが納得いかない。主に言ってくるのは上司なんですけれど。
あまり細かく書くと守秘義務違反になるのでざっくりな例になりますが、
「怒ってクレームを入れてくるあの人は、心の底では心配でいっぱいなんだ。だから受け入れる必要がある」
「もっと一緒に居たくて、かまってほしいからあのような行動をとるのだよ。」
といった感じですね。
言いたいことはわかりますよ。心配故に。つらかったが故に。嬉しいが故に。一見困った行動を取ってしまう、と。
でもやはり、怒ったり泣いたり手を出されたりするとこっちだってつらいです。疲れたり嫌な気持ちになったりしてしまいます。
なるべく寄り添って、受け入れて、相手の気持ちや歴史を考えて、そうやって理解しようと、受け入れようと頑張って、それでもその行動をつらいと感じてしまうんです。
で、耐えられなくて上司に相談すると上記の言葉です。「私なりに考えても、それでもつらかったのです」の前半部分はすっとばされて、「あの人はこうでこうできっとこうだから、そんなことをしてしまったのだよ。だから受け入れましょうね。」になるので、「いや、考えましたよ?」と反論する気力もなくなってしまいます。
もしくは、私の考えはまだまだ足りていないから、相手に対してこんな酷いことを思ってしまうのでしょうか?真に相手のことを思いやって、氷山モデルなんかも理解していたらこんなようには考えないのでしょうか。
こんなことばかり言われてしまうのなら、私も困らせてやると考えてしまいます。
『怒る、泣く、迷惑をかける。でもその行動の根底にはつらい気持ちとかがあるから受け入れてくださいね。』としてみたいなんて…考えてしまう。
よければ感想ください。私への批判、説教もOKです。