『◯◯に□□を言うのがダメ』だとして、無駄、悪い結果になるとして。
それだったらまあ、べつのアプローチを考えなきゃいけないよね、試さなきゃいけないよね。
なんて先の話より『◯◯に□□を言うのがダメ』という議論に話を咲かせるほうが面白いんだろうか。楽なんだろうか。そっちに熱を持っていかれやすいのか。そちらのほうが思考が捗る?
「□□って言われると嫌な思いをします」
「□□って言われると嬉しいと思います」
この場合、□□が良いか悪いかじゃなくて、どうしてそういう気持ちになるのか?とかそういう話ではないのか?
でもそれってすごくめんどくさいことなのかな?
人の気持ちに触れるって、人の、自分の心のことを考える…… ってつらいから…… だから言葉のほうに甘えちゃうのかな……
その言葉に重荷を全部背負ってもらおうとするのかなあ。
こういうことをふと、常、思案する人生。
本日も、生きています。
213385通目の宛名のないメール
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アユム
いや〜……どっちでも……
価値観なんて人それぞれだからさぁ……
例えば
死にたい子にも色々いるじゃん?
その子その子に合った言葉を
届けないとねぇ……
相手の子が嫌な思いをしても
結果いい方向に行く可能性があるのなら
届けるべきだしね〜
うん?
人の心を考えずに
言葉を書いてる子がいるのかい?
そしたら、その言葉は薄っぺらいねぇ……
yuki.
人の気持ちなんて千差万別だし、各々が思う【普通】を叩きつけあうだけに過ぎないと私は思ってます。
そしてその【普通】は各々の経験から形成されるから良いとか悪いとかではなく押し通すか妥協するかの2択なのかなと。
本当は個々人に合わせた良い悪いを個別に考えて対応するのが理想だけど、それが現実的じゃないから【悪い】ものを定義して駆逐する方が早く、そのために良い悪いを決めたくなる。
あとは日本人の傾向として
『自分は□□について良い(悪い)と思った、だから他の人もそう思うはずだ。』
と考えるようです。
欧米の人だと
『自分は □□についてこう思ったけど、他の人はそうでないかもしれない 』
と考えるようです。
単一人種の国と多人種の国での違いでしょうか。
昔オンラインゲームをやっていて
『その装備すごいね、俺にもくれない?』
なんて他のプレイヤーに図々しいお願いをする海外プレイヤーを散見しました。
日本人の場合は
『知らない人にいきなりこんなこと頼んでも断られるだろう。自分なら知らない人にあげたりしない。』と考えるのに対し、
海外の人は
『俺だったら知らない人に装備をあげるなんてことはしないけど、もしかしたらあの人はそうじゃないかもしれない。だからまずは確認してみよう』
という思考になるらしいです。
どちらの考え方が良いか悪いかを決めるのは不毛ですが、私はこの場合の日本人的考えで『自分が嫌だと思ったことは他人も嫌だろう』と考える派だと自覚しています。
ななしさん
『◯◯に□□を言うのがダメ』
だけど
『◉◉に□□を言うのは問題なし』
ということは、
『〜だから、◯◯に□□を言うのがダメで◉◉に□□を言うのは問題なしなんだなぁ』
と考える方が私は好きです。
私は「どうしてそういう気持ちになるのか?」と考えたい人。べつのアプローチを考えたい人。
だけど、これが正解かどうかは不明。
言葉のほうに甘えているのか、自分の心を考えるのがつらいかなのか、理由はさておき、結果、考えて動けないより、動いてから考える方が正解な場合もある。
以下、お手紙の内容からは少し脱線するけれど、書いて置きます。
『◯◯に□□を言うのがダメ』という議論に話を咲かせるほうが面白いし、楽だからやっている人も多そう。
そういう人がいると分かった上で、あえて
『◯◯に□□を言うのがダメ』と発言する人もいそう。良くも悪くも話題になれば認知度が上がるから、炎上狙いで発言する策士。
本心か策士かの見極めが難しい。というか、見極めができない未熟者です。
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