最近の子は、なぜ生き甲斐を、生きる理由を求めるのだろう。
自分が若い頃は、周囲にそんなこと話している人はいなかった。
生きることに理由も何もない。
ただ生きている、それが当たり前で疑問にも思わなかった。
それでいいと思うのだけれど。
名前のない小瓶
213612通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ごろー
こんにちは、小瓶主さん
年齢が分かりそうなので、
はっきりとはかけませんが
私の感じたことです
平成の教育は自分で考えるとか
ドラマやCMとかも
好きなことで生きていくのが
かっこいいとかとか
テレビでも自分らしく生きているという人をもてはやしてましたね。。
自分探し、いつから生まれた言葉でしょう。
バブルや高度成長期にも
メディアでよく使われていたのでしょうか。。。
結論がない返信ですいませんでした。
ななしさん
生きることに理由はなく、ただ生きているだけ、それでいい・・・というのは、深い悩みや苦しみのない穏やかな状態だろうと思います。
昔はたとえ辛くても、それを他人に伝える手段が、あまりなかったんですよね。
今は辛さをネットで発信できるから、そういう文章が目につくのだろうと思います。
だから、昔も今も、人それぞれではないでしょうか。
そして、いつの時代も若い人達は、生き甲斐や生きる理由はこうなんだという「答え」が欲しいわけではないのだろうと思います。
誰か自分の辛さに気づいてほしい、苦しみじゃなくて安らぎが欲しいという気持ちかもしれないですね。
Amber Sweets
自分も十代の頃は、人生の意味や目的になんかこだわっていました。多分、生きていることが辛いから、どうしようもない現実を疑いはじめて、「生きることなんか意味なんてない!」と考えちゃうんですね……。十代の頃って、そんなもんでした。
私の経験から言いますと
散々、悩みに悩んで一つわかったことは、
「存在することはただ存在するから存在する」
というシンプルな結論です。
たとえば人生の理由とか存在の原因とか、何だろうなって一応、考えるじゃないですか? 何か神さまみたいな絶対的な存在が宇宙を創造したのかな、って。でもその神さまみたいな「何か」も、「存在」というカテゴリーにくくられる以上、存在者の一つであって存在する対象のはずです。つまり「存在」というカテゴリーの内部にあるはずですよね?
これって神さまが「存在の原因である」という主張と矛盾すると私は思います。何故なら「存在」のカテゴリーの内部にある対象が、まるでそのカテゴリーそのものを外側から作り出してしまってるように、論理的には想定されるからです。
純粋な「存在の原因」ならば、ありとあらゆるものが含まれるすべての存在の「存在カテゴリー」から、完全に外れたものでないと意味をなさないはずです。しかし存在カテゴリーの外側には、定義上「無」しかないわけです。
よって存在するものすべてには、それらを根源的に発生させ、成立せしめる第一原因となる何かがまったく存在しないはずです。
しかしたとえば「無」が「存在」の原因だと仮定しても、これは同じことです。無が第一原因ならば、じゃあその無は何を原因として産まれたのだろう?という問題になるから。存在にも無にも第一原因なるものは何処にもありません。
つまり存在には原因はなく、それ故にそれに理由もない。だから存在とはありのままに存在するものとしてただ存在する、ということが論理的にわかるはずです。何も無いではなく何故、何かがあるのか?(Why not nothing?)のありうべき唯一の解答は「存在することは存在することである」です。
でもこれって同語反復ですよね?(笑)
論理的には「1=1」と言ってるだけなので、矛盾はしてません。でも人間はこの同語反復に耐えられるようには、出来ていないようです。宛メには「何故、生きなければいけないの?死にたいよ……」という投稿ばかりです。が、彼ら彼女らを救う言葉には同語反復では不可能です。「あるものはあるんだよ!」と叫んでも、「わからないよ!」と返される。
彼ら彼女らの反応は当然だと思います。
人はパンのみにて生きるにあらず。
また人は論理だけでも生きていけません。
だからなるべく私は彼ら彼女らに
「ただあなたが生きているだけでいいんだよ。ただあなたが存在するってだけでいいんだよ。……生きる意味? う〜ん、私にはわからないな。でもそれはこの世で一番賢い学者さまでもわからないと思うよ。存在することって、とても不思議だね? だからうまくいかないからといってあっさり死ぬことなんてないんだよ。」
と答えるようにしています。
こんなに宇宙は広いのに、その存在の"理由"がまったくないだなんて、存在とは人生とはとても不思議なものです。だから「学校にいけないから」「恋人にフラれたから」「一人ぼっちだから」といって、同じく死ぬ"理由"も存在しないと思います。逆説的に。
長くなりましたが、主さまの仰るとおり確かに「生きる理由」なんてないと思われます。でも人はただ存在するということに耐えられない。だから青少年には「ありのままのあなたで生きていていいんだよ。だってすべての存在はただありのままに存在するのだからね。」と言ってあげるべきだと考えます。それがきっと救いとなるのではないでしょうか?
マジレス長文、大変失礼しました。
名前の有った小瓶
昔は当たり前でも今は当たり前ではなくなっただけかと。
理由まではわかりませんが。
私も若い頃は生き甲斐とか考えることなく生きてたけど今は考えるし。
生き甲斐とか考えずに自然に生きられる人は、きっと環境に恵まれてるだけ。
ななしさん
今の子は情報過多で生きづらそう
手の届かない人間に簡単に手が届きそうな錯覚を起こして、自分も同じようになれるはずだと夢を見て、それが叶わないと、生き甲斐とか生きる意味を求めてそれにすがるのかもしれない
凡庸が当たり前で、同世代の人間が何をしているかなんてほとんど知ることもできなかった時代の自分からすると、生き甲斐や生きる意味を求めなければ生きていてはいけないように感じている世代は、可哀想だなと思います
ななしさん
昔もあったけど、SNSで目にする機会が増えたからだと思います。
思えば勉強やスポーツができ、顔立ちもよく不登校だったあの人は周りから評価高い人だったとか、女性なのに男みたいだったとか(LGBT)。ピアノが弾ける人がいた。
なんかこう大人になってから、気づかされる事多いですね。知らなかっただけでしょう。ちなみにポケベル世代です。分厚い携帯も一部ありましたが。
賢いと息苦しい。周りが子供に見える。理解も良いから先々も見える。だから学校なんで行かなければ、金にもならんのに。だから困らない為に子役になろう等。明らかに不平等なのに平等を主張する考えを教えられる。テレビ見る視聴率、誰かの利益。
気づきを書けばキリないですね。
僕も悩んでましたよ。ただ、それに気づかなかったまで。昔の本だって、今と同じような事書いてありますから。どの時代も生きるのには苦労したんですね。歴史は繰り返す。今は先々が見えるので、後の苦しみを早く実感してるのではと思います。
いつの時代も変わらない。他国は戦争だし。こうやって戦争は起きるんだと理解しますね。生きる為。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。