主観的でななく客観的に
論理的で合理的に生きれば
この苦しみを忘れられ
前に進めるのかな?
でも、それじゃロボットと同じ
私は人間
人間らしく感情的に生きたい
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ななしさん
主観も論理も感情も等しく人間のものですよ
並べられたものから何かを選択する意思もね
因みに、選択と言われて思い浮かべた問いがあなたの思考回路ですよ
さぁ、あなたが否定したいのは機械かな? それとも……(笑)
ななしさん
客観的に生きるというのは自分が感情を動かしている、感情的に生きている(悪い意味でなく。泣いてるとか、辛いとか)と分かっていること、だという風に認識しています。
感情を大切にしたい、そういう人間なんだよね、私は、と捉える感覚が客観的。
悲しみや辛さの感情にどっぷりと浸かり続けると時に私は感覚のアンバランスのためにそこから抜けにくくなり、自分にも人にも『感情的』になって、感情をぶつけてしまうから、客観性、自己分析を大切に思っています。
冬
ななしさん
客観的、論理的、合理的、それに感情的もいいかもしれないけど、まず大前提として、「主体的に」、じゃないでしょうか。
自分の人生は自分のものだという自覚を持って、自分の行動を自分で制御するべきかと。
誰かの人生が上手くいったとして、あるいは上手くいかなかったとして、一番影響のある人物は他ならぬ本人のはずです。
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