自分にとって楽な状態は素の状態だけど、社会に求められるのは素の自分ではない。
社会に求められるような理想を演じるか、素を近づけるか、ペルソナを使いこなすか。
まずは睡眠。ひとり時間を作って整えてから、他人と過ごす。職場ならペルソナ。
演じているうちに役が馴染む場合もあるから、それを待つ。その前に体に不調が現れたら、演じ役を見直すか、睡眠や食事を見直す。
自分の望みと現実との違いで傷付くのだから、傷ついて当然だなぁと、まずはそのまま気持ちを受け止める。
自分の望みで自由にできる範囲を認識して、その中で楽しむ工夫をするか、自由にできる範囲を変えるか、検討する。
例えば、¥1,800のランチにするか、¥500のお弁当と猫カフェで1時間過ごすのと、どっちが幸福か?このとき、自由に使えるお金がもっとあれば、と考えるなら収入を増やすためにどうするかを考える。
やりがちな間違いは、「赤の他人のお金持ちのあいつはずるい」と考えてしまうこと。
他人だもの、そう考えたところで何も改善しないし誰も幸福にならないのに。
怒りや不満のエネルギーは、自分で変えられる部分に対して注ぐ。
「温暖化で夏が暑すぎだ!」というような怒りは自分の工夫だけではなくて、社会に対しても怒っていいかもしれない。けれど、社会はそう簡単に変わらないから、基本的には時々で工夫できる範囲で。
人に傷付くことや怒ることも含めて、それは人に興味や関心があるからだと思えば、その点だけは救いかもしれません。
傷付きすぎて人に関心がなくなり感情が動かない状態も正常とは言えない気がします。